「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -403ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ13:3-23
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞くがよい」。… 「…だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。 


「人は白分のまいたものを,刈り取る」(英文)1980年10月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会
「地は満ちており、十分にあり余っているからである。まことに、わたしはすべてのものを備え、人の子らが自ら選択し行動する者となるようにした。」(教義と聖約 104:17)

主がこの地上に住む御自身の子供たちの必要を満たすために定められた秩序を見て,私は例年のことながら驚異の念に打たれます。私は毎年春になると, くわを手にし,種まきを始めますが, 真っ直ぐな筋に沿ってまけるように,2本のくいの間に張った糸を目当てにしながら, 地味の肥えた土地に2,3粒ずつ種をまいていきます。そして秋にはその豊かな実りに圧倒されるのです。他よりも抜きん出て丈が伸びる種もあります。そしてほとんどの種が, 何カ月か前にまかれた時とは比較にならないほど多くの黄金の豊かな実りをもたらしてくれるのです。人々は収穫の季節の度に, 主が注いで下さる祝福に感謝の念で胸が一杯になるに違いありません。

救い主は地上で教えと導きの業に携わっておられた間, たとえ話の中で何度もこの成長の過程を例にとって教えられました。このことから考えて, 救い主がこの過程をよく理解しておられたことは間違いありません。救い主は幾度となく, 主が人々のために定められたこの供給制度から例をあげて教えを説かれました。種をまく人(マタイ13:3-23参照), 自然に育っていく種(マルコ4:26-29参照), 毒麦(マタイ13:24-30参照), 実を結ばないいちじくの木(ルカ3:6-9参照), いちじくの葉(マタイ24:32-33), 畑に隠された宝(マタイ13:44)などのたとえ話をはじめ,ほかにもたくさんの例があります。次の聖句のように, 救い主の弟子たちが, 地上におられた時の主の言葉ぶりにならって人々に教えたとしても, 何ら不思議なことではありません。「まちがってはいけない, 神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを, 刈り取ることになる。」(ガラテヤ6:7)

主の刈り入れの律法が伝える偉大なメッセージは, 人々に強い印象を与えずにはおきません。主が定められた秩序は成長, 増殖, そして豊かな報いをもたらしてくれます。私たちは, この成長の過程を通じてもたらされる祝福を目のあたりにした時, 神の子供たちにこの現世の人間に与えられている可能性に気付いて欲しいと願うのではないでしょうか。主は御自分の子供たちの多くに, 地上にいる間に特別な被造物, つまり御自身の息子, 娘たちの世話をする機会を与えられました。主が人類に与えられたあらゆる責任の中でこれより偉大なものはありません。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。


「わたしについてきなさい」2002年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
忙しくしていればいるほど、自分の価値が高まっているかのように錯覚することがあります。つまり「忙しさ」によって自分の価値を図っているのです。兄弟姉妹、チェックリストを片手に髪振り乱して動き回る人生を送ることはできますが、そのような生活に究極の価値はないのです。

多くのことに手を染めることはそれほど大切ではありません。永遠に価値のある事柄に思いと心と全霊を傾けること、これが大切です。

わたしたちは騒々しくせき立てられ、「こちらに来なさい」「あちらに行きなさい」と叫ぶ声に囲まれて生活しています。わたしたちの時間と関心を手中に収めようと雑音と誘惑が渦巻く中で、ガリラヤの海辺に一人立って「わたしについてきなさい」と静かに招いている御方がおられます。

わたしたちの生活は簡単にバランスを崩されてしまうことがあります。今、わたしにとって特にチャレンジとなった歳月を思い起こしています。わたしたちは7人の子どもを育てました。わたしは教会で副監督として奉仕し、それからそこで監督という聖なる召しを受けました。会社を経営するために毎日、長時間働かなければなりませんでした。わたしがいつも主に仕えることができたのはすばらしい妻のおかげです。

与えられている時間に比べて行うことがあまりにも多くありました。大切なことを犠牲にしないために、もっと朝早く起きて、自分の仕事に取りかかり、それから善き父、善き夫、さらに忠実な教会員として必要なことをしました。それは容易なことではありませんでした。朝早く目覚まし時計が鳴ったとき、どうにかして片方のまぶたを引き上げ、鳴り続けられるものなら鳴り続けてみろと時計をにらみつけたこともありました。

けれども主の憐あわれみと助けによって、決意したすべてのことを実行する力と時間を見つけることができました。難しいことでしたが、救い主の呼びかけに耳を傾け、主に従うと決めたことを後悔したことはありません。

わたしたちが主に対して負っている負債について考えてみてください。イエスは「よみがえりであり、命で〔あられます〕。〔イエス〕を信じる者はたとい死んでも生き〔ます。〕」(ヨハネ11:25)  巨大な富を持っている人の中には、全財産をはたいて、たったあと数年、あと数か月、あるいはあと数日でさえも、この死すべき生涯の寿命を引き延ばそうする人たちがいます。わたしたちは永遠の命を得るために何をささげるべきでしょうか。

平安を得るために自分の持つすべてをささげる人もいます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28) と救い主は言われました。けれども、救い主は主の戒めを守り、最後まで堪え忍ぶ者に対して、平安だけでなく、「神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものである」(教義と聖約14:7) 永遠の命を約束しておられます。

わたしたちは救い主のおかげで、永遠に生きます。不死不滅とは決して死なないという意味です。けれども、永遠の命とは、高貴な場所で、こよなく愛している人々とともに、深い愛とこの上ない喜びと栄光の中で、永遠に生きるという意味です。

この昇栄した状態は、幾らお金を積んでも買うことができません。永遠の命は、愛にあふれる天の御父からの賜物であり、あのガリラヤ人の呼びかけに聞き従うすべての人に無料で惜しみなく与えられるのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。


「主はあなたを肩に乗せて家に連れ帰ってくださるでしょう」2016年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
愛に満ちた天の御父は全ての子供がみもとに戻ることを望んでおられますが,無理やり天に連れて帰るようなことはなさいません。わたしたちの意思に反して救助されることはないのです。

では,わたしたちは何をしなければならないのでしょうか。

主の招きはシンプルです。

「わたしに帰〔りなさい〕。」(ヨエル2:12)

「わたしのもとにきなさい。」(マタイ11:28)

「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。」(教義と聖約88:63)

これが,救助されたいと望んでいることを主に示す方法です。

少々信仰が必要ですが,落胆しないでください。今信仰を奮い起こすことができないなら,まずは希望を持ちましょう。

神の存在を知っていると言えないならば,神の存在に希望を持ってください。信じようとする望みを持つだけでも始めるには十分です。(アルマ32:27参照)

次に,その希望に基づいて行動し,天の御父と心を通わせます。すると,神は皆さんに愛を注がれ,主の救助の業と心の変化が始まるでしょう。

時がたつにつれ,生活の中で主の御手を認識し,主の愛を感じるようになるでしょう。信仰を持って一歩ずつ歩むときに,主の光の中を歩み,主の道に従いたいという望みが増すでしょう。