マタイ11:28 わたしについてきなさい | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。


「わたしについてきなさい」2002年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
忙しくしていればいるほど、自分の価値が高まっているかのように錯覚することがあります。つまり「忙しさ」によって自分の価値を図っているのです。兄弟姉妹、チェックリストを片手に髪振り乱して動き回る人生を送ることはできますが、そのような生活に究極の価値はないのです。

多くのことに手を染めることはそれほど大切ではありません。永遠に価値のある事柄に思いと心と全霊を傾けること、これが大切です。

わたしたちは騒々しくせき立てられ、「こちらに来なさい」「あちらに行きなさい」と叫ぶ声に囲まれて生活しています。わたしたちの時間と関心を手中に収めようと雑音と誘惑が渦巻く中で、ガリラヤの海辺に一人立って「わたしについてきなさい」と静かに招いている御方がおられます。

わたしたちの生活は簡単にバランスを崩されてしまうことがあります。今、わたしにとって特にチャレンジとなった歳月を思い起こしています。わたしたちは7人の子どもを育てました。わたしは教会で副監督として奉仕し、それからそこで監督という聖なる召しを受けました。会社を経営するために毎日、長時間働かなければなりませんでした。わたしがいつも主に仕えることができたのはすばらしい妻のおかげです。

与えられている時間に比べて行うことがあまりにも多くありました。大切なことを犠牲にしないために、もっと朝早く起きて、自分の仕事に取りかかり、それから善き父、善き夫、さらに忠実な教会員として必要なことをしました。それは容易なことではありませんでした。朝早く目覚まし時計が鳴ったとき、どうにかして片方のまぶたを引き上げ、鳴り続けられるものなら鳴り続けてみろと時計をにらみつけたこともありました。

けれども主の憐あわれみと助けによって、決意したすべてのことを実行する力と時間を見つけることができました。難しいことでしたが、救い主の呼びかけに耳を傾け、主に従うと決めたことを後悔したことはありません。

わたしたちが主に対して負っている負債について考えてみてください。イエスは「よみがえりであり、命で〔あられます〕。〔イエス〕を信じる者はたとい死んでも生き〔ます。〕」(ヨハネ11:25)  巨大な富を持っている人の中には、全財産をはたいて、たったあと数年、あと数か月、あるいはあと数日でさえも、この死すべき生涯の寿命を引き延ばそうする人たちがいます。わたしたちは永遠の命を得るために何をささげるべきでしょうか。

平安を得るために自分の持つすべてをささげる人もいます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28) と救い主は言われました。けれども、救い主は主の戒めを守り、最後まで堪え忍ぶ者に対して、平安だけでなく、「神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものである」(教義と聖約14:7) 永遠の命を約束しておられます。

わたしたちは救い主のおかげで、永遠に生きます。不死不滅とは決して死なないという意味です。けれども、永遠の命とは、高貴な場所で、こよなく愛している人々とともに、深い愛とこの上ない喜びと栄光の中で、永遠に生きるという意味です。

この昇栄した状態は、幾らお金を積んでも買うことができません。永遠の命は、愛にあふれる天の御父からの賜物であり、あのガリラヤ人の呼びかけに聞き従うすべての人に無料で惜しみなく与えられるのです。