「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -391ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ18:3-4
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 


「あなたが改心したときには」2004年4月、D・トッド・クリストファーソン、七十人会長会
どうすれば改心できるのでしょうか。イエス・キリストの福音を,単なる影響力ではなく自分をコントロールする影響力,つまり自分の人格の本質的な部分とするには,どうすればよいのでしょうか。古代の預言者エレミヤは,神の律法,福音を心に書き記すことについて語りました。エレミヤは末の日の民にかかわる主の御言葉を引用しています。「わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる……。」(エレミヤ31:33。※1)

皆さんはこのような改心がしたいですか。もしも本気でそう願うのであれば,その方法を教えましょう。心を開かなければ,福音を心に記すことはできません。聖餐会やクラス,教会の活動に参加しても,わたしが今日教えることを行ったとしても,心から願わなければ,さほど変化はないでしょう。しかし子供のように心を開き,(マタイ18:3-4参照) 熱心に行うというのであれば,改心する方法をお教えしましょう。

第1ステップとして,今日の世の中にはびこっている高慢を完全に捨てなければなりません。高慢とは人の生活を治めておられる神の権威を拒絶する態度です。主はジョセフ・スミスに高慢について説明されました。「彼らは主の義を打ち立てるために主を求めようとせずに,すべての人が自分の道を,自分の神の像を求めて歩む。」(教義と聖約1:16ヒラマン12:6も参照)  現代風に言い換えるとこうなります。「好きなようにやれよ。」「善悪は気分次第で決まるのさ。」このような態度は神への反抗であり,前世におけるルシフェルとまさに同じです。ルシフェルは,真理を宣言し律法を確立される神の権利を拒絶しました。(教義と聖約76:25-29参照) サタンは過去も現在も,善悪を勝手気ままに宣言する力を望んでいます。愛する創造主は,御自身の権威を強引に認めさせようとはなさいませんが,進んでその権威に従うことが改心の第1ステップです.

さらに,福音が「心にしる〔される〕」ためには,福音が何かを知り,深く理解する必要があります。それは福音を学ぶということです。(※2) 「学ぶ」とは,読むこと以上の行為です。メッセージの全体像をつかむために,時々,聖典1冊を目標期間内に読むのは良いことです。しかし改心したければ,時間内に読む量よりも,聖文にどれだけ時間を割くかに心を向ける必要があります。時には,数節読み,深く考え,同じ節を注意深く読み返し,意味を考え,理解を求めて祈り,心に問いかけ,霊的な考えが浮かんでくるまで待ち,覚えたりさらに学んだりするために感じたことや理解したことを書き留める,そのような読み方をしている皆さんの姿が目に浮かびます。このような方法で学ぶとき,30分かけても多くは読めないでしょうが,心に神の御言葉を受け入れる場所を設け,神が語りかけてくださるのです。その感覚をアルマは次のように表現しています。「これはわたしの心を広げ,わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしに良い気持ちを与え始めている。」(アルマ32:28) 古今の主の預言者の言葉から心に良い気持ちを感じるにつれて,福音が皆さんの心に記され,心が改まっていることが実感できるでしょう。


※1 エゼキエルは,改心とは主が人から「石の心」を取り去り,代わりに御自身と御自身の福音を愛する心をお与えになるようなものであると語った(エゼキエル11:19-20参照)。これはまさにベニヤミン王の民が経験したことである。彼らは自分たちの心が変化したと語り,二度と悪を行いたいとは思わず「絶えず善を行う望みを持」った(モーサヤ5:2)。

※2 記録された神の御言葉を非常に多く所有しているわたしたちは,大変幸運である。過去の時代においては,聖文を所有したのはごく限られた人々だけであった。当時の人々は説教の中で聖文が読み上げられると,できるだけ記憶しようと努力なければならなかった。自分の聖典を持ち,好きなときに読めるということは,たぐいない祝福である。アダムの時代から現代に至るまでの改心した人々の人生の中で,福音がどのような役割を演じていたのか,見ることができるのである。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ18:3
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 


「喜んで服従する」(英文)1985年4月、二一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会
霊的に服従するということは, ひざをかがめたり頭を垂れたりする以上のことです。「肉のことを思」っている限り(ローマ8:5),「キリストの思い」(1コリント2:16) を持つことは決してできないのです。

イエスは次のように厳粛に要求しておられます。「幼な子のようにならなければ, 天国にはいることはできないであろう。」(マタイ18:3)

イエスの予言者のひとりは, 「従」という言葉を3度も用いて, 弟子としての特質を明らかにしています。「子供のように従順で、柔和で、謙遜で、忍耐強く、愛にあふれた者となり、子供が父に従うように、主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従(う)」(モーサヤ3:19)

ほかにもこのすぐれた特質を強調する聖句が3カ所に見られます。(アルマ7:23, 13:28;教義と聖約121:41-42参照) 上に述べた驚くほど類似している聖句はみな,いろいろな特質を,服従をその中心にすえて養うように嘆願しているようです。この繰り返しは偶然とは思えないのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ18:1-5
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

「子供たちを教える」(英文)1997年10月、卜一マス・S・モンソン、大管長会
主は, 耳を傾けるすべての人々に対して, 簡潔ではありますが深遠な真理を教えておられます。それはマタイによる福音書に記録されています。イエスは弟子たちと変貌の山を下りてからガリラヤにしばらく滞在した後, カペナウムへ行かれました。弟子たちはイエスに尋ねました。「『いったい, 天国ではだれがいちばん偉いのですか。』

すると,イエスは幼な子を呼び寄せ,彼らのまん中に立たせて言われた,

『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ, 天国にはいることはできないであろう。

この幼な子のように自分を低くする者が, 天国でいちばん偉いのである。

また, だれでも, このようなひとりの幼な子を, わたしの名のゆえに受け入れる者は, わたしを受け入れるのである。』」(マタイ18:1-5

イエスは地上に来るために最近前世から送られてきたばかりの幼子を深く愛されたということにわたしは意味があると思います。当時の子供たちも今日の子供たちも, わたしたちの生活に祝福をもたらし, わたしたちの愛を燃え立たせ, 善を行うようにわたしたちを促しています。

詩人ワーズワースがわたしたちの誕生をこのように詠んだとしても, 何の不思議があるでしょうか。「栄光の雲を曳きつつ, われらの故郷なる神のもとより来たりぬ。われらの幼なけきとき,天国はわれらのめぐりにありき。」(ウィリアム・ワーズワース, 岩波文庫「幼年時代を追想して不死を知る頌」『ワーズワース詩集』岩波書店, 田部重治訳,167)

わたしたちの態度, 心の奥底に宿る信念は家庭で築かれます。希望は家庭の中で, はぐくまれもしますし, 破壊されもします。スチュアート・E・ローゼンバーグ博士はその著書『信頼への道』(TheRoad to Confidence)の中で, 次のように記しています。「新しい発明や近代的な考え方が次々に人々の聞に浸透し, もてはやされていますが, だれも自分の家族に代わることができるようなものを発明することはできませんでした。また今後もそのようなものを発明することはできないでしょう。」(The Road to Confidence (1959), 121)

わたしたち自身も自分の子供や孫たちから学ぶことができます。彼らは恐れを知りません。彼らは天の御父が自分たちを愛しておられることにいささかの疑いも抱きません。彼らはイエスを愛し, イエスのようになりたいと思っています。

「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である」と言われた主の指示に熱心に従おうではありませんか。(マルコ10:14

わたしたちがよく親しんでいる歌の中に「わたしたちの間に天使がいる」という一節があります。これらの天使はかわいい幼子であることがよくあります。父なる神は地上におけるわたしたちを助ける仕事をこれらの幼子に託してこられました。そのような子供たちに, 祈りを教え, 信仰を鼓舞し, 真理に従って生き, 神を敬うことを教えようではありませんか。そうしてこそ,わたしたちは天の家と永遠の家族を持つことができるのです。これ以上の賜物があるでしょうか。これ以上の祝福があるでしょうか。

イエス・キリストの御名によってお話しします。アーメン。