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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

士師6:12-16

主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」。

ギデオンは言った、「ああ、君よ、主がわたしたちと共におられるならば、どうしてこれらの事がわたしたちに臨んだのでしょう。わたしたちの先祖が『主はわれわれをエジプトから導き上られたではないか』といって、わたしたちに告げたそのすべての不思議なみわざはどこにありますか。今、主はわたしたちを捨てて、ミデアンびとの手にわたされました」。

主はふり向いて彼に言われた、「あなたはこのあなたの力をもって行って、ミデアンびとの手からイスラエルを救い出しなさい。わたしがあなたをつかわすのではありませんか」。

ギデオンは主に言った、「ああ主よ、わたしはどうしてイスラエルを救うことができましょうか。わたしの氏族はマナセのうちで最も弱いものです。わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです」。

主は言われた、「しかし、わたしがあなたと共におるから、ひとりを撃つようにミデアンびとを撃つことができるでしょう」。

 

「すばらしく益になっています!」2015年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

神は,今この瞬間にありのままのあなたを受け入れ,ともに働き始めてくださいます。あなたに必要なのはただ,進んで行う心と,信じたいという望みと,主への信頼です。

 

ギデオンは自分のことを貧しい農夫であり,父の家族のうちで最も小さな者であると考えていました。しかし,神は彼を大勇士として御覧になりました。(士師6:12-16参照)

 

サムエルがサウルを王に選んだとき,サウルはそれを考え直してもらえるように話しました。イスラエルのうちの最も小さな部族出身である自分がどうして王になどなれるだろうかと考えたのです。(サムエル上9:21参照) しかし,神はサウルを「若くて麗し〔い〕」特別な者として御覧になったのです。(サムエル上9:2)

 

偉大な預言者モーセでさえも,一度は圧倒され,やる気をなくし,あきらめて死にたいとさえ思いました。 (民数11:14-15参照)しかし,神はモーセをあきらめることはされませんでした。

 

愛する兄弟姉妹の皆さん,不完全な肉体の目だけを通して自分自身を見るとき,十分よいとは思えないかもしれません。しかし,天のお父様はわたしたちの本当の姿を御覧になっておられ,将来どのようになれるかも御存じです。御父の息子,娘として,永遠の光と永遠の可能性と神聖な特質を持った存在として見ておられるのです。(1ヨハネ3:1-3参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

士師2:10

そしてその時代の者もまたことごとくその先祖たちのもとにあつめられた。その後ほかの時代が起ったが、これは主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった。

 

「日々の回復」2021年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

良きにつけ悪しきにつけ,霊的な生活面での変化は一歩ずつ徐々に起こります。マックス・プランク研究所の被験者たちのように,いつ道を外れたのか,本人には分からない場合もあるのです。まっすぐに歩いているという強い自信があったとしても,目印になるものがなければ,道をそれることは避けられません。そして,思ってもみなかった場所に行ってしまうのです。

 

これは,個人も,社会も,そして国家もそうです。聖文には,このような例がたくさん出てきます。

 

士師記には,ヨシュアの死後「ほかの時代が起ったが,これは主を知らず,また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった」と書かれています。(士師2:10)

 

イスラエルの子らはモーセやヨシュアが生きていたころに驚くべき天の力の介在や訪れ,助け,奇跡的な勝利を見てきたにもかかわらず,人々は次の世代に移る前に「道」を捨てて自分たちの望む道を歩み始めたのです。当然,自分たちの行いの代価を払う時は間もなくやって来ました。

 

このような背教は,数世代かかって起こることもあれば,ほんの数年または数か月で起こることもあります。しかし,背教の可能性はだれにでもあります。過去にどんなに強烈な霊的経験をしていようとも,人間であるわたしたちは道をそれることがあるのです。アダムの時代から今に至るまで,そうでした。

 

しかし,すべてが失われるわけではありません。さまよい歩いてしまった被験者たちと違い,わたしたちには頼りになる目印があり,それを使って進路を確認することができるのです。

 

では,その目印とは何でしょうか。

 

もちろんこれには,日々の祈りや聖文について深く考えること,『わたしに従ってきなさい』のような霊感されたツールの活用が含まれます。わたしたちは謙虚で正直な気持ちになって,神の御座に日々近づくことができるのです。自分のしたことについて深く考え,一日を振り返ることができます。自分の意志と願いを,神のそれと照らし合わせるのです。もし道を外れていたら,神に願って元に戻れるよう助けていただき,さらに良くなろうと決意します。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨシュア3:9-10

ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたはここに近づいて、あなたがたの神、主の言葉を聞きなさい」。 そしてヨシュアは言った、「生ける神があなたがたのうちにおいでになり、あなたがたの前から、カナンびと、ヘテびと、ヒビびと、ペリジびと、ギルガシびと、アモリびと、エブスびとを、必ず追い払われることを、次のことによって、あなたがたは知るであろう。

 

「『生ける』教会員」(英文)1987年4月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会

生ける教会の会員として、私たちは生ける神を信じています。ヨシュアはヨルダン川を渡るに先立ち、イスラエルの民を集めてこう言いました。「あなたがたはここに近づいて、あなたがたの神、主の言葉を聞きなさい。……生ける神があなたがたのうちにおいでにな〔ることを〕……あなたがたは知るであろう。」(ヨシュア3:9-10)少年ダビデも、ゴリアテに戦いを挑まれたとき、勇敢にもかたわらにいる人々に次のように言いました。「この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか。」(サムエル上17:26)エレミヤも同じように、主を真の神、生ける神と呼んでいます(エレミヤ10:10参照)。

 

私たちは、この教会が生ける真の神によって建てられた、真実の生ける教会であると強く信じています。しかし、もう一つ考えなければならないことがあります。「自分は不動の決意をもって献身的に働く、真の生ける教会員だろうか。」

 

皆さんが固く立ち、真の生ける教会員となり、約束の恵みを受けられますように。その約束の恵みとは、教義と聖約の中に「これらの者は、シオンの山に、また生ける神のいと聖き神聖なる都に来りぬ」(教義と聖約76:66)と書かれている人々の中に数え入れられることです。これらをイエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)