「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -39ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約107:9,22,65-66,91-92

メルキゼデクの位に従う大神権の大管長会は、教会におけるすべての職務を行う権利を持つ。

メルキゼデク神権を持つ者の中から、この団体によって選ばれ、その職に指名され、聖任され、また教会員の信頼と信仰と祈りによって支持された三人の管理大祭司が、教会の大管長会の定員会を構成する。

それゆえ、大神権を持つ者の中から一人がその神権を管理するために任命されることが必要であり、彼は教会の大神権の大管長と呼ばれる。

言い換えれば、教会の大神権を管理する管理大祭司である。

さらにまた、大神権の職の大管長の義務は、全教会を管理し、モーセのようであることである。

見よ、ここに知恵がある。まことに、神が教会の長に授ける神のすべての賜物を持つ聖見者、啓示者、翻訳者、および預言者となることである。

 

「天の力」2012年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

今晩わたしは,神権者として「義の模範」となるようわたしたちに勧めているトーマス・S・モンソン大管長の教えを繰り返します。わたしたちは主の用向きを受けていて,個人のふさわしさに基づいて主の助けを受ける権利があることを,モンソン大管長は繰り返し教えています(「義の模範」2008年4月)。皆さんとわたしは,この神権時代に天の使者たちによって,すなわちバプテスマのヨハネと,ペテロ,ヤコブ,ヨハネによって,地上に再び与えられた神権の権能を持っています。ですから,メルキゼデク神権を受けるすべての男性は,個人の神権の系譜を主イエス・キリストまでたどることができるのです。わたしたちがこの驚くべき祝福に感謝するよう願っています。そしてわたしたちが主の神聖な権能を行使するときに清くあって,主を代表するにふさわしくあるように祈っています。わたしたち一人一人が,神権の力を受ける資格を得ることができますように。

 

この末日に聖なる神権が確かに地上に回復されて,末日聖徒イエス・キリスト教会に見られることを証します。また,トーマス・S・モンソン大管長が教会の大神権を管理する管理大祭司であり教義と聖約107:9,22,65-66,91-92参照),すべての神権の鍵を持ち,行使する権限を託された地上で唯一の人物であることを証します。これらの真理を,主イエス・キリストの聖なる御名によって厳粛に証します。アーメン

 

 

 

現在の大管長会

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約107:3

彼の時代の前には、これは神の御子の位に従う聖なる神権と呼ばれていた。

 

「個人の神権の責任」2003年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

神権を持っているということは,自分の召しを尊んで大いなるものとする個人の責任があることを意昧します。あらゆる奉仕の機会を通して,神権の力を増し加えましょう。また,身だしなみにおいても,生ける預言者たちの模範に従ってください。そうすることは,「神の御子の位に従う聖なる神権」教義と聖約107:3ジョセフ・スミス訳ヘブル7:3アルマ13:1も参照)の重要性を真に理解していることを暗黙のうちに表明していることになります。

 

兄弟の皆さん,メルキゼデク神権を行使する機会があるときに,自分は何をすべきか深く考えてください。人の頭に手を置くとき,皆さんは祈りをささげるのではありません。祈りにはもちろん権能は必要ありません。皆さんは主の御名によって任命し,聖任し,祝福し,語る権能を与えられているのです。教義と聖約1:20,3884:19-22,26-27107:18-20124:39-46133:6参照)次の主の約束を忘れないでください。「だれでもあなたが祝福する者をわたしは祝福し」教義と聖約132:47,「わたしはあなたにわたしの御霊を授けよう。……そのとき,あなたは知るであろう。すなわち,……わたしから与えられると信じながら信仰をもってわたしに願うことで,義にかかわることは何であろうとすべて知るであろう。」教義と聖約11:13-14

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約107:1-3

教会には二つの神権、すなわち、メルキゼデク神権と、レビ神権を含むアロン神権がある。

なぜ前者がメルキゼデク神権と呼ばれるかといえば、メルキゼデクはそれほど偉大な大祭司であったからである。

彼の時代の前には、これは神の御子の位に従う聖なる神権と呼ばれていた。

 

「最も際立った特性」2005年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

先ほど、教会歴史のカートランド時代の話をしました。1836年と1837年は、設立間もない教会にとって、財政的にも、政治的にも、教会の内部的にも、かつてないほどの困難に直面した年でした。その苦難のさなかに、ジョセフ・スミスは驚くべき預言的な促しを受け、最も能力のある人々(最終的には十二使徒定員会全員)を外国に伝道に出したのです。それは、最終的に当時の教会を危機から救う、大胆で霊感あふれる手段でした。しかし当初は、聖徒にとって耐え難い重荷でした。それは伝道に行く人々にとってつらいことでしたが、残された人々にとっては、恐らくもっとつらい経験だったでしょう。

 

ロバート・B・トンプソン長老の言葉を引用します。

 

「長老たちがイギリスに出発する予定の日が来ました。わたしは〔ヒーバー・C・〕キンボール兄弟がいつ出発するのか確認しようと、彼の家に〔立ち寄りました。〕これからカナダでの伝道を始めるに当たって、キンボール兄弟と2,300マイル旅を共にしようと思ったからです。

 

ドアが少し開いていたので中に入ると、目の前の光景に驚きました。じゃまをしているような気がして遠慮しようかと思いましたが、その場所に釘付けになって動けませんでした。父親は神に思いを打ち明け、〔懇願して〕言いました。『スズメを気にかけ、鳴き声を上げるヒナを養ってくださる神様、わたしが留守の間、妻と幼い子供たちの必要を満たしてください。』それからキンボール兄弟は、族長のように、自分の職の権能により家族一人一人の頭の上に手を置いて父親の祝福を残し、……自分が外国で福音を宣べ伝えている間、家族を神の御手にゆだねたのです。〔祝福を〕授けている間、キンボール兄弟の声は、周りを取り囲んだ子供たちのすすり泣く声にかき消されていました。彼らは〔幼いながらに強くなろうとしていましたが、非常に難しいことでした。〕……キンボール兄弟は言葉を続けましたが、彼も胸がいっぱいで、いつものように語ることはできませんでした。……何度か言葉を詰まらせ、……大粒の涙が頬をぬらしました。それは彼の心の内を表していました。わたしも涙をこらえることができませんでした。」トンプソン兄弟はこう述べています。「思わずわたしも涙を流し、ともに泣きました。それと同時に、このような状況に立ち会う特権が与えられたことに感謝しました。」(オーソン・F・ホイットニー,Life of Heber C. Kimball 〔1945年〕,108-109で引用)

 

このような情景は、末日聖徒イエス・キリスト教会の中で、形を変えて何千回も繰り返されてきました。恐怖、窮乏、召し、危険、病気、事故、死。わたしはそのような瞬間に立ち会ってきました。わたし自身についても、家庭の中でも責任を果たすうえでも、神の力が現れるのを見てきました。また悪が叱責され、自然の力が制御されるのを見てきました。わたしは困難という山を動かし、不吉という紅海を分けるとはどういうことか知っています。また滅ぼす天使が「過ぎ越す」教義と聖約89:21参照)ことが何を意味するか知っています。「神の御子の位に従う聖なる神権」の権能を受け教義と聖約107:1-3参照)、その力を行使してきたことは、わたしと家族にとって、この世で望むことのできる最高の祝福です。結局、これが日々の生活における神権の意味なのです。神権には祝福を与える、無上で、永久で、普遍の能力があるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)