「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -379ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ24:15
預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)


「わたしたちが学んで忘れないこと」2021年4月、ラッセル・M・ネルソン大管長
逆境は偉大な教師です。過去2年間にあなたが学んだことで,いつも覚えておきたいことは何ですか。この答えは人によって違いますが,わたしは,だれもが学んで忘れないでほしい4つの教訓について話したいと思います。

教訓1:家庭は信仰と礼拝の中心である
主は末日の危険について警告するとき,度々このように勧告されます。「聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい。」(教義と聖約87:8マタイ24:15教義と聖約45:31–33101:21-22も参照) この「聖なる場所」には,主の神殿と集会所が確かに含まれています。しかし,これらの場所への集合には様々な制限があるので,地上で最も神聖な場所の一つは,家庭,まさに自分の家庭であると教えられてきたのです。

兄弟の皆さん,あなたは神の神権を持っています。「神権の権利は天の力と不可分のものとして結びついて」(教義と聖約121:36) います。あなたとあなたの家族は,神権の儀式を受けました。「この神権の儀式によって神性の力が現れ」ます。(教義と聖約84:20) その力は,あなたが交わした聖約を守るときに,自分の家庭であなたと家族が使えるものです。(ヨハネ4:20-23アルマ32:9-16参照)

まさに185年前のこの日,1836年4月3日にエリヤは家族が永遠に結び固められることを可能にする神権の鍵を回復しました。だからこそ,皆さんは自分の家庭で聖餐を執行したとき,とても良い気持ちを感じたのです。この神聖な儀式を,父親や祖父,夫,息子,兄弟である皆さんが執行するのを見て,皆さんの家族はどう影響されたと思いますか。家族の神聖な気持ちを維持するために,あなたは何をしますか。

自分の家庭を信仰の聖所とするには,行わなければならないことがまだたくさんあると感じるかもしれません。そう感じるなら,行動に移してください!結婚しているなら,この重要な業の対等のパートナーである妻と話し合ってください。それより重要なことなどあまりないはずです。今から主が再び来られる時までに,わたしたち全員が自分の家庭を安全な聖所にする必要があります。(アルマ50:4参照)

御霊を招く態度と行動が,あなたの家庭の聖さを増し加えます。同じように確かな事実は,あなたの行いや環境に,聖き御霊を害するものがあれば,聖さは消えてしまうということです。「天は退き去」るからです。(教義と聖約121:37)

主がなぜ,わたしたちの家庭を福音学習と福音生活の中心にしたいと思われたのでしょうか。パンデミックにわたしたちを備え,助けるためだけではありません。集まりに対する現在の制限は,いずれ終わります。しかし,自分の家庭を最も重要な信仰の聖所にするという決意は,決して終わりません。この堕落した世界で信仰と聖さが減少するにつれて,聖所の必要性は増加します。あなたの家庭を真の聖所とするために引き続き努力し,その重要な目標から「動かされないように」(教義と聖約87:8) することを強くお勧めします。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ24:13
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。


「進み続ける」2004年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
イエス・キリストの福音には,基礎的な教義の一つとして最後まで堪え忍ぶことがあります。イエスは教えられました。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ24:13) 「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら,あなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。」(ヨハネ8:31) 最後まで堪え忍ぶことを,単に問題を何とか切り抜けることだと考えている人がいます。しかし実際は,はるかにそれ以上のことです。それはキリストのみもとに来て,キリストによって完全になる過程なのです。

モルモン書の預言者ニーファイはこう教えています。「したがって,あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は,『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」(2ニーファイ31:20)

最後まで堪え忍ぶとは,信仰,悔い改め,バプテスマ,および聖霊を受けることによって永遠の命に至る道に入った人が,その道を歩み続けるという教義です。最後まで堪え忍ぶには心を尽くすことが求められます。あるいはモルモン書の預言者アマレカイが教えているように,「キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ,断食と祈りを続け,最後まで堪え忍」ばなければなりません。「そうすれば,主が生きておられるように確かに,〔わたしたち〕は救われる」でしょう。(オムナイ1:26)

最後まで堪え忍ぶとは,人生を福音の土壌にしっかりと植え付け,承認された教会の教義を守り,謙遜に同胞に仕え,キリストのような生活を送り,聖約を守ることを意味します。堪え忍ぶ人はバランスが取れていて,堅実で,謙遜であり,絶えず改善していて,偽りがありません。彼らの証はこの世的な根拠に基づくものではなく,真理,知識,経験,御霊に基づいています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ23:11
そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。


「幸福,わたしたちの受け継ぎ」2008年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
すばらしい姉妹の皆さんは,自分の利益を求める代わりに,周囲の人々に哀れみ深い奉仕を行っています。こうして救い主の模範に従っているのです。救い主は,王でありながらも,地位を求められませんでした。また,人の目に留まるかどうかに関心を示されませんでした。人との競争で頭を悩ますこともなさいませんでした。救い主の思いは,常に,周囲の人を助けることに向いていました。救い主は,教え,癒し,言葉を交わし,人の話に耳を傾けられました。真の偉大さは社会的な成功や地位とはほとんど関係ないことを御存じでした。次の教義を教え,御自身の生活でも実践されました。「あなたがたのうちでいちばん偉い者は,仕える人でなければならない。」(マタイ23:11)

最後に,ささげる祈りの数がわたしたちの幸福に役立つことがあります。しかし,神の代理としてわたしたちがこたえる祈りの数の方が,さらに大切なのではないでしょうか。目を大きく見開いて,だれかの沈んだ心を見いだし,孤独と絶望に気づきましょう。周囲でささげられている沈黙の祈りを感じましょう。そして,そのような祈りにこたえるために,主の御手に遣われる者となりましょう。