「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -375ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ14:6-7
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。 



「もしあなたがたがわたしを知っていたならば」2016年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
「あなたがたはまったくわたしを知らない」, 「あなたがたはわたしを知らない」という言葉は,わたしたち一人一人にとって自分自身を霊的に深く見つめ直すきっかけとなるべき言葉です。わたしたちはただ救い主について知っているだけでしょうか。それとも,さらに主を知るようになっているでしょうか。どうしたら,主を知るようになるのでしょうか。この魂への問いかけが,わたしのメッセージの主題です。この重要な主題について一緒に考えるとき,聖霊の助けがあるよう切に願います。

イエスは言われました。

「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。

もしあなたがたがわたしを知っていたならば,わたしの父をも知ったであろう。」ヨハネ14:6-7

愛する御子を知るようになるにつれ,わたしたちは御父を知るようになります。

現世の偉大な目的は,御父の独り子について学ぶだけでなく,知るように懸命な努力をすることです。主を知るようになるうえで助けとなる,4つの不可欠な段階があります。主を信じる信仰を働かせること,主に従うこと,主に仕えること,そして主を信じることです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ14:1,15,21
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。…もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 …わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。



「揺るがず神を信頼し」2017年4月、ウリセス・ソアレス、七十人会長会
わたしたちに対する,救い主の嘆願の言葉に耳を傾けてください。

「あなたがたは,心を騒がせないがよい。神を信じ,またわたしを信じなさい。……

もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。……

わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。わたしを愛する者は,わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し,その人にわたし自身をあらわすであろう。」ヨハネ14:1,15,21

神は信仰に応じて,わたしたちを祝福してくださいます。2ニーファイ27:23アルマ37:40エテル12:29参照)信仰とは,神聖な目的と永遠の観点をもって生きるための原動力です。信仰とは,勤勉に働く意欲を与える実践的な原則なのです。それは欠かすことのできない生きる力であり,神とイエス・キリストから命じられることなら何でも喜んで行うという,前向きな態度と望みに表れます。信仰があると,人はひざまずいて主の導きを請い求め,それから立ち上がり,主の御心に添う事柄を自信を持って成し遂げるのです。
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ26:38-45
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。


「第7の戒め―盾」2001年10月、ニール・A・マックスウェル長老、十二使徒定員会
最後に兄弟姉妹の皆さん、時には、またある状況下では、主の弟子として、たとえ独りであっても進んで耐えることが要求されます。わたしたちがこの世で喜んでそうすることは、かつてキリストがゲツセマネで独りでひざまずかれたことと呼応します。贖い最後の過程では、「だれも〔主〕とともにいなかった」のです教義と聖約133:50マタイ26:38-45も参照)

しかしながら、忠実な者たちはその立場を守るかぎり、決して独りになることはありません。ゲツセマネでキリストを力づけるためにいたあの天使は、訳があってキリストのみもとを去りましたルカ22;43参照)。しかし、わたしたちが神とその戒めへの信仰の盾を高く掲げるならば、天使たちが「〔わたしたち〕の周囲にいて」「〔わたしたち〕を支え」、「〔わたしたち〕に対する務めを果たし」てくれるのです教義と聖約84:88109:22。このことを約束し証します。そして兄弟姉妹、わたしたちの心の天候を測るためにダイヤルをセットしましょう。そのようにしてわたしたちは、この世と来るべき世で味わう幸福の程度を決めることができるのです。また、第7の戒めを含む神の戒めを守ることによって、わたしたちはダイヤルを正しくセットし、神がその御手をわたしたちに置いてくださるよう願い求めることができます。その御手はお持ちのものをすべて与えることを願っておられる御方の御手なのです教義と聖約84:38参照)。イエス・キリストの御名により申し上げます。アーメン