マタイ26:38-45
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
「第7の戒め―盾」2001年10月、ニール・A・マックスウェル長老、十二使徒定員会
最後に兄弟姉妹の皆さん、時には、またある状況下では、主の弟子として、たとえ独りであっても進んで耐えることが要求されます。わたしたちがこの世で喜んでそうすることは、かつてキリストがゲツセマネで独りでひざまずかれたことと呼応します。贖い最後の過程では、「だれも〔主〕とともにいなかった」のです(教義と聖約133:50。マタイ26:38-45も参照)。
しかしながら、忠実な者たちはその立場を守るかぎり、決して独りになることはありません。ゲツセマネでキリストを力づけるためにいたあの天使は、訳があってキリストのみもとを去りました(ルカ22;43参照)。しかし、わたしたちが神とその戒めへの信仰の盾を高く掲げるならば、天使たちが「〔わたしたち〕の周囲にいて」「〔わたしたち〕を支え」、「〔わたしたち〕に対する務めを果たし」てくれるのです(教義と聖約84:88;109:22)。このことを約束し証します。そして兄弟姉妹、わたしたちの心の天候を測るためにダイヤルをセットしましょう。そのようにしてわたしたちは、この世と来るべき世で味わう幸福の程度を決めることができるのです。また、第7の戒めを含む神の戒めを守ることによって、わたしたちはダイヤルを正しくセットし、神がその御手をわたしたちに置いてくださるよう願い求めることができます。その御手はお持ちのものをすべて与えることを願っておられる御方の御手なのです(教義と聖約84:38参照)。イエス・キリストの御名により申し上げます。アーメン
