「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -362ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝7:56
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。 


「主は生けりと知る」2007年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会
キリストの神性を疑う今日の人々に対して,論破することのできない証拠,実際にその目で見たという証を引用しましょう。聖書の時代に,残虐な殉教を遂げたステパノは,天を仰いで叫びました。「ああ,天が開けて,人の子が神の右に立っておいでになるのが見える。」使徒7:56

コリント人びとに告げたパウロの力強い証から,確信を受けない人がいるでしょうか。彼はこう言いました。「キリスト〔は〕,聖書に書いてあるとおり,わたしたちの罪のために死んだ……,そして葬られた……,聖書に書いてあるとおり,三日目によみがえった……,ケパに現れ,次に,十二人に現れた……。……そして最後に……わたしにも,現れたのである。」1コリント15:3-5,8

わたしたちの神権時代にも,これと同様の証を預言者ジョセフ・スミスが雄々しく語りました。シドニー・リグドンとともにこう証しています。「そして今,小羊についてなされてきた多くの証の後,わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち『小羊は生きておられる。』」教義と聖約76:22

これこそわたしたちを支える知識です。わたしたちを慰める真理です。そして悲しみに打ちひしがれた人を影から光へと導き出す確信なのです。

 

 

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝7:55
しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。


「個人の尊厳」(英文)1981年4月、ジェームズ• E・ファウスト、十二使徒定員会
これは私の考えですか,創造主は男と女を創造された時,彼らを利已心や自己満足のとりこになるような存在としてはお考えにならなかったと思います。すなわち「神のかたちに創造し,男と女とに創造された」創世 1:27) のでした。

詩篇の作者は尋ねました。「人は何者なので,これをみ心にとめられるのですか。……ただ少しく人を神よりも低く造って,栄えと誉とをこうむらせ,これにみ手のわざを治めさせ, よろずの物をその足の下におかれました。」詩篇8: 4-6)

清さの標準はどういうものでしょうか。聖典にこう記されています。「だれがあなたのように,聖にして栄えあるもの……であろうか。」出エジプト15: 11)

ステパノのように清くなろうとする者は神の栄光を見るでしょう使徒7: 55)  清くなろうとする時にもたらされる祝福のひとつを,主は次のように描いておられます。「まことに、主はこのように言う。自分の罪を捨て、わたしのもとに来て、わたしの名を呼び、わたしの声に従い、わたしの戒めを守る者は皆、わたしの顔を見て、わたしがいることを知るであろう。」教義と聖約93:1)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝7:22
モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。 


「柔和で心のへりくだった者」2018年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
柔和は,それを得たいと望み,道徳的な選択の自由を義にかなって行使し,いつも罪の赦しを保てるように努めることを通してはぐくまれる特質です。モーサヤ4:12,26モロナイ8:25-26参照)また,わたしたちが求めることがふさわしい霊的な賜物でもあります。教義と聖約46:8参照)しかし,そのような祝福が何のために与えられているのか,すなわち,神の子たちを益し,彼らに仕えるために与えられているということを覚えておくべきです。教義と聖約46:8-9,26参照)

救い主のもとに来て主に従うとき,わたしたちは次第に少しずつ主のようになることができます。御霊によって,自制心を働かせ,落ち着いた穏やかな振る舞いをする力を授かります。このように,柔和さとは単にわたしたちの行うことではなく,主の弟子としてわたしたちがなる状態のことなのです。

モーセは「エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ,言葉にもわざにも,力が」ありました。使徒7:22それにもかかわらず,モーセは「その人となり柔和なこと,地上のすべての人にまさって」いました。民数12:3その知識と能力のゆえに高慢になっても不思議ではありませんでした。しかしそうならずに,柔和という特質と霊的な賜物に恵まれて,人生において傲慢さは消えていき,モーセは神の目的を成し遂げるために使われる大いなる者となりました。