使徒行伝7:56
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
「主は生けりと知る」2007年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会
キリストの神性を疑う今日の人々に対して,論破することのできない証拠,実際にその目で見たという証を引用しましょう。聖書の時代に,残虐な殉教を遂げたステパノは,天を仰いで叫びました。「ああ,天が開けて,人の子が神の右に立っておいでになるのが見える。」(使徒7:56)
コリント人びとに告げたパウロの力強い証から,確信を受けない人がいるでしょうか。彼はこう言いました。「キリスト〔は〕,聖書に書いてあるとおり,わたしたちの罪のために死んだ……,そして葬られた……,聖書に書いてあるとおり,三日目によみがえった……,ケパに現れ,次に,十二人に現れた……。……そして最後に……わたしにも,現れたのである。」(1コリント15:3-5,8)
わたしたちの神権時代にも,これと同様の証を預言者ジョセフ・スミスが雄々しく語りました。シドニー・リグドンとともにこう証しています。「そして今,小羊についてなされてきた多くの証の後,わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち『小羊は生きておられる。』」(教義と聖約76:22)
これこそわたしたちを支える知識です。わたしたちを慰める真理です。そして悲しみに打ちひしがれた人を影から光へと導き出す確信なのです。