使徒行伝7:22
モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。
「柔和で心のへりくだった者」2018年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
柔和は,それを得たいと望み,道徳的な選択の自由を義にかなって行使し,いつも罪の赦しを保てるように努めることを通してはぐくまれる特質です。(モーサヤ4:12,26;モロナイ8:25-26参照)また,わたしたちが求めることがふさわしい霊的な賜物でもあります。(教義と聖約46:8参照)しかし,そのような祝福が何のために与えられているのか,すなわち,神の子たちを益し,彼らに仕えるために与えられているということを覚えておくべきです。(教義と聖約46:8-9,26参照)
救い主のもとに来て主に従うとき,わたしたちは次第に少しずつ主のようになることができます。御霊によって,自制心を働かせ,落ち着いた穏やかな振る舞いをする力を授かります。このように,柔和さとは単にわたしたちの行うことではなく,主の弟子としてわたしたちがなる状態のことなのです。
モーセは「エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ,言葉にもわざにも,力が」ありました。(使徒7:22)それにもかかわらず,モーセは「その人となり柔和なこと,地上のすべての人にまさって」いました。(民数12:3)その知識と能力のゆえに高慢になっても不思議ではありませんでした。しかしそうならずに,柔和という特質と霊的な賜物に恵まれて,人生において傲慢さは消えていき,モーセは神の目的を成し遂げるために使われる大いなる者となりました。
