「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -363ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝6:15
議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。


「天使モロナイ訪れる!」1983年10月、マーク・E・ピーターセン、十二使徒定員会
多くの人々はもはや天使の導きや教えなど信じていません。しかし, 神は天使を遣わされます。アダムの時代からこの方法で神は人類と交わってこられました。私たちの時代に, どうして天使を遣わされないと言えるでしょうか。

……

十字架を前にしたイエスは, もし苦き杯を避けようと思えば十二軍団の天の使いたちを呼ぶこともできると言われました。(マタイ26:53参照) これでも天使は実在しないというのでしょうか。天使がいなかったら, イエスはこのような話をされるでしょうか。

イエスが復活されたとき, 天使が墓の石をわきにころがしました。女たちは天使を目にし,その声を聞きました。(マタイ28:2,5参照)

ステパノが迫害する人々に最後の証を述べたとき, その顔は天使のように輝いていました。(使徒6:15参照)

ペテロは天使によって獄から解放されました。(使徒5:19参照)パウロは人々の言葉や天使の言葉を語りました。(1コリント13:11参照)

聖典にはっきりと教えられているように,天使が導きと恵みを与えるのは,「人に悔改めをすすめ… … 主が選びたもう者にキリストの御言葉を伝え, その者たちにキリストの事を証させる」(モロナイ7:31) ことです。

主はまた, 天使が長い間現われないとすれば, それは人々の不信仰と背教のせいであると, 教えておられます。しかし, 信仰があるならば, 天使の導きと恵みは「大地があるかぎり, または救うべき人が一人でも地上にのこっているかぎり」(モロナイ7:36) 続くのです。

 

主は最後まで, 人類を救うことを望んでおられるので, 黙示者ヨハネに啓示を与えて, 末の日に全能の神の使いとして天使が再び中空を飛ぶと告げさせました。ヨハネは, ひとりの天使が天から遣わされて地を訪れ, 長い間人類から失われていた永遠の福音を地上に回復するのを目にしました。(黙示14:6参照) 


この天使がモロナイです。……

 

 

 

使徒行伝3:1-8

さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。 こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。


勧めることは,確かにその過程の一つです。しかし,ただ人々に宣教師のレッスンを聞くように勧めること以上に,会員の皆さんが伝道活動のためにできることはたくさんあります。それは宣教師とともに,人々が信仰を育み,悔い改めたいという望みを持ち,聖約を交わす備えをし,終わりまで堪え忍ぶことができるようにフォローアップすることを意味しています。

このフォローアップの原則は使徒行伝に示されています。

「さて,ペテロとヨハネとが,……宮に上ろうとしていると,

生れながら足のきかない男が,かかえられてきた。この男は,宮もうでに来る人々に施しをこうため,毎日,『美しの門』と呼ばれる宮の門のところに,置かれていた者である。

彼は,ペテロとヨハネとが,宮にはいって行こうとしているのを見て,施しをこうた。

ペテロとヨハネとは彼をじっと見て,『わたしたちを見なさい』と言った。

彼は何かもらえるのだろうと期待して,ふたりに注目していると,

ペテロが言った,『金銀はわたしには無い。しかし,わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。』」

これは主の僕による実に力強い勧めではないでしょうか。しかし,ペテロは勧めをして終わりではありませんでした。聖文には続けてこう書かれています。「彼の右手を取って起してやると,足と,くるぶしとが,立ちどころに強くなって,

踊りあがって立ち,歩き出した。そして,歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら,彼らと共に宮にはいって行った。」使徒3:1-8

言い換えれば,ペテロは神権の権能を行使してこの人に立ち上がるようにただ勧めたのではありません。ペテロはその人の右手を取って,一緒に神殿に入って行くことによって,自分自身の勧めをフォローアップしたのです。




使徒行伝2:37

人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。


「人生にとって霊的に重要な記憶」2020年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
人生にとって霊的に重要な瞬間は,わたしたち一人一人に合わせて様々な時に様々な方法で訪れます。

聖文の中で自分が好きな例について考えてみてください。使徒ペテロの話を聞いていた人々は「強く心を刺され」ました。使徒2:37レーマン人の女性エービシは「父の驚くべき示現」を信じました。アルマ19:16エノスの思いに語りかける声がありました。エノス1:5参照)

わたしの友人であるクレイトン・クリステンセンは,よく祈りながらモルモン書を読んでいたときの経験についてこう記しています。「麗しく,温かく,愛にあふれた御霊が……わたしを取り囲み,心を貫き,想像もしなかったような愛の気持ちで包んでくださいました。〔そして,そのような気持ちを毎晩感じました。〕」(クレートン・M・クリステンセン「最も役立つ知識」『リアホナ』2009年1月号,23)

時に,霊的な気持ちは火のように心の中にともり,思いを照らします。ジョセフ・スミスは,わたしたちに時々「突然様々な考えがわいてくる」ことや,時折「純粋な英知が流れ込んで」くることがあると説明しています。(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』132参照)

ダリン・H・オークス管長は,今までそのような経験をしたことがないと主張する誠実な男性に答えて次のように勧告しました。「恐らくあなたの祈りは何度もこたえられていますが,偉大なしるしや大きな声を期待しているがために,答えが得られていないと思っているのです。」(Dallin H. Oaks, Life’s Lessons Learned: Personal Reflections (2011), 116–69.) 救い主は,「火と聖霊に〔よって祝福されたが,〕……それを知らなかった」,大いなる信仰を持つ人々について自ら語られました。3ニーファイ 9:20

ラッセル・M・ネルソン大管長は最近,このように述べました。「次の重要な質問を深くまた頻繁に考えてください。あなたは主の声をどのように聞くことができますか?また,より鮮明で頻繁に主の声を聞くために行動してください。」ラッセル・M・ネルソン「主の声をどのように聞くことができますか?」特別な招き,2020年2月26日