「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -364ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。 ……イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。……このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。


皆さんは,11人の使徒がガリラヤに近い山にいる情景を想像できるでしょうか。よみがえられた主が彼らに近づいて言われました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し〔なさい。〕」マタイ28:19) 「全世界に出て行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」マルコ16:15

「すべての国民」,「全世界」,「すべての造られたもの」。それは可能だったのでしょうか。イエスは弟子たちを励まされましたが,福音を伝えるときにほんとうに奇跡が起こるのだろうか,と彼らは思ったに違いありません。マタイ28:20マルコ16:17-18参照)

信仰が疑いに打ち勝ち,ペテロは声を上げて言いました。

「エルサレムに住むすべてのかたがた,……わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。……

ナザレ人イエス〔を〕……あなたがたは……不法の人々の手で十字架につけて殺した。……

このイエスを,神はよみがえらせた。そして,わたしたちは皆その証人なのである。」使徒2:14,22-23,32

その日,まさに御霊が豊かに注がれ,3,000人がバプテスマを受けました。イエスが約束されたように,信じる人々の信仰に応じて,しるしと奇跡が示されました。

……

救い主は福音を分かち合う方法を教えてくださいました。わたしはアンデレの話が好きです。彼はこう尋ねました。「先生……どこにおとまりなのですか。」ヨハネ1:38 イエスは住んでいる場所を告げずに,アンデレに言われました。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう。」ヨハネ1:39 救い主はこう言おうとされたのだと思います。「来て,わたしが住んでいる場所だけでなく,わたしの生き方も見なさい。来て,わたしがどのような者かを見なさい。来て,御霊を感じなさい」と。その日のことのすべては分かりませんが,アンデレが兄弟のシモンを見つけたときにこう述べたことは分かっています。「わたしたちは〔に〕出会った。」ヨハネ1:41

わたしたちの会話に関心を示す人々を,わたしたちは救い主の模範に従って,「来て,見てください」と招くことができます。招きを受け入れる人もいれば,受け入れない人もいます。わたしたちは皆,「来て,見てください」と何度か招かれた結果,それを受け入れたという人を知っています。かつてわたしたちと一緒にいた人で,今はまれにしか会わない人についても考え,戻って来てもう一度会うように誘いましょう。




今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝2:1-12
テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、 お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。 イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。 そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。



「聖霊の賜 正しい羅針盤」(英文)1989年4月、ジエームズ・E・ファウスト、十二使徒定員会
しかし聖霊の賜は, 神のみたまと違って, すべての人には与えられません。聖霊の導きと恵みにあずかるためには, 聖霊の賜を受けていなければな.りません。予言者ジョセフ・スミスは, 「聖霊と聖霊の賜には違いがある.」と述べています。(「予言者ジョセフ・スミスの教え」p.199) 教会員ではない多くの人も, 聖霊から啓示を受けて, 福音が真理であることを確信してきました。コルネリオはバプテスマを受ける前に, 五旬節の日に集った多くの人と同じように, 聖霊を受けました。(使徒2:1-12;10:30-44参照)真理を求める人がモルモン経や福音の原則に対する証を得るのは, この力によるのです。

聖霊の賜は, 悔い改めてふさわしくなった人に与えられるもので, バプテスマの後, 権能を持つ人の按手によって授けられます。ペテロは五旬節の日に, すでに聖霊の力を心に感じている人々に次のように言いました。「悔い改.めなさい。そして, あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために, イエス・キリストの名によって, バプテスマを受けなさい。そうすれば, あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(使徒2:38) 聖霊の賜を持つ人は, さらに大きな光と証を受けることができます。聖霊は真理について証し,父なる神と御子イエス・キリストが実在することを人の心に深く刻みつけます。そこでもはや, 世のいかなる力や権威もその知識を取り去ることができなくなります。(2ニーファイ31:18参照)
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝1:14
彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。


「心を合わせて」2018年4月、レイナ・I・アブルト、中央扶助協会会長会
御父と一つであられることにおいて,イエス・キリストは究極の模範です。御二方は目的,愛,そして業において一つです。「御子の御心は御父の御心にのみ込まれ」ているのです。モーサヤ15:7

どうすれば,御父と一つであられる主の完全な模範に倣って,さらに御二方と一つとなり,互いも一つとなれるのでしょうか。

使徒行伝第1章14節に霊感あふれる模範があります。「〔彼ら〕はみな,婦人たち……と共に,心を合わせて,ひたすら祈をしていた。」使徒1:14

使徒行伝には,復活されたイエス・キリストが天に昇られた直後の弟子の行動や,弟子が自らの努力に対して享受した祝福について書かれています。幾度か出てくる「心を合わせて」という表現には重要な意味があると思います。また,主が訪れ,人々を教え導かれたアメリカ大陸の忠実な人々の間にも同じようなことがあったことには重要な意味があります。「心を合わせて」には,同意や一致,また,それらを合わせたすべての意味が含まれます。

二つの場所で忠実な聖徒たちが一致して行ったことの中に,イエス・キリストを証し,神の言葉をともに研究し,愛を持って互いに教え,仕え合ったことがあります。

主に従う者たちは,目的,愛,業において一つでした。自らと,自らが成すべきことを知り,愛をもって神と互いのために行動しました。彼らは,心を合わせて前進する美しい万華鏡の一部でした。

人々は聖霊に満たされ,奇跡が起こり,教会は発展しました。また,人々の間に争いがなく,主がすべてのことについて彼らを祝福されました。これらは彼らが受けた祝福の一部です。