使徒行伝10:34
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、…
「イエス・キリストの御名を受ける」2018年10月、ロバート・C・ゲイ、七十人会長会
ブリガム・ヤングはこう教えました。
「人を自分の都合ではなくありのままに……理解するようにと,聖徒たちにお願いしたいと思います。」(Brigham Young, in Journal of Discourses, 8:37)
「このようなことを言う人がよくいます。『悪いことをしたのだから,あんな人は聖徒とは言えない』……中傷の言葉やうそも耳にします。……〔または,〕安息日を破る人もいます……そのような人たちを裁かないでください。主が彼らにどのような計画をお持ちかあなたには分からないからです。……〔彼らを裁かずに〕彼らの話に耳を傾けましょう。」(Discourses of Brigham Young, sel. John A. Widtsoe (1954), 278)
救い主が皆さんのことや皆さんの重荷のことを御存じないなどと想像できる人がいるでしょうか。救い主はサマリヤ人も,姦淫を犯した人も,取税人も,重い皮膚病の人も,精神的な疾患のある人も,罪人も,皆同じ目で御覧になりました。すべて御父の子供であり,贖われることが可能だったのです。
神の王国に用意されている自分たちの場所に疑念を抱いている人や,いかなる事柄であれ悩み苦しむ人に,救い主が背を向けけられる姿を想像できるでしょうか。(3ニーファイ17:7参照) わたしは想像できません。キリストの目には,一人一人に永遠の価値があるのです。失敗するよう予任されている人などいません。永遠の命は,すべての人が受けられるのです。(ヨハネ3:14-17;使徒10:34;1ニーファイ17:35;2ニーファイ26:33;教義と聖約50:41-42; モーセ1:39参照) D・トッド・クリストファーソン長老もこう教えています。「イエス・キリストの贖罪は,イエス・キリストを頼るすべての人々の喪失や損失を予測し,最終的に,それらすべてを補うために成し遂げられたことを,確信をもって証します。御父が子供たちのために準備しておられるすべてのうちの一部にしかあずかれない運命にある人はだれ一人としていないのです。」(「なぜ結婚,なぜ家族か」『リアホナ』2015年5月号)


