「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -359ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝10:38
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。


「まことの羊飼い」2013年10月、トーマス・S・モンソン、大管長
兄弟の皆さん,ホームティーチング※ は継続します。この業は,主が「もう十分である」と言われるまで終わりません。光を必要とする人生があり,慰めを必要とする心があり,救いを必要とする魂があります。わたしたちの神聖な特権は,託されたかけがえのない人々に光と,慰めと,救いを与えることなのです。わたしたちは忠実に,喜びに満ちて,そうするべきです。

最後に,理想のホームティーチャー※ 像を示す特別な模範に心を向けたいと思います。他のすべてを凌駕する生涯を送った教師がいます。その教師は,命と死,義務と行く末を教えました。彼は,仕えられるのではなく仕えるため,受けるのではなく与えるため,自分の命を救うのではなく人のために自分の命を犠牲にするために,生きました。欲望よりも美しい愛を,富よりも豊かな貧しさを,彼は教えました。律法学者のようにではなく,権威ある者のように教えたのはこの教師でした。マタイ7:28-29参照)彼の律法は石の上ではなく,人の心に刻まれました。

わたしが話しているのは,主なる教師,イエス・キリスト,神の御子,全人類の救い主,贖い主のことです。聖書の記録では,この御方は「よい働きをしながら……巡回され」使徒10:38たとあります。その御方を確かな導き手,模範者として,ホームティーチングを行う際に,その御方の聖なる助けを受けるにふさわしい者となりましょう。人生は祝福され,心は慰められ,魂は救われるでしょう。わたしたちはまことの羊飼いになるのです。そうなりますように,イエス・キリストの御名によりお祈りします,アーメン

※現在、ホームティーチングはミニスタリング、ホームティーチャーはミニスタリングブラザー/ミニスタリングシスターと呼ばれています。ミニスタリングとは,「羊を養う」キリストの模範にならって、ほかの人々を思いやることです。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝10:38
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。


「たえず目をさまして祈っていなさい」2020年10月、M・ラッセル・バラード、十二使徒定員会
世界の現在の混乱状態の中にあって,たくさんの問題や困難があることを考えるとき,途方に暮れるかもしれません。しかし,必要な祝福と導きを天の御父に祈り求めるならば,家族や隣人,地域社会,さらには自分の住む国さえも祝福する方法を知ることができることを心から証します。

救い主は祈られた後に「よい働きをしながら……巡回されました」。使徒10:38) 貧しい人に食物を与え,助けを必要としている人に勇気と支えを与え,主のもとに来るすべての人に愛と赦しと平安の気持ちで手を差し伸べ,休みを与えられたのです。主は引き続き手を差し伸べておられます。

教会員の皆さん,そして世界中のほかの信条を持つ団体の隣人と友人の皆さんに,救い主が御自分の弟子たちに勧告されたとおりに行うようお勧めします。平安と慰め,安全,そして互いに仕え合う機会を求めて,「絶えず目をさまして祈って」ください。ルカ21:363ニ―ファイ18:15も参照)

祈りには何と大きな力があることでしょう。また,神とその愛する御子を信じる信仰の祈りが今日の世の中にどれほど必要とされていることでしょう。祈りの力を思い起こし,感謝しましょう。イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 



 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝10:34
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、…



「神殿の中の自分の姿を見る」2016年4月、クエンティン・L・クック長老、十二使徒定員会
一方,主が永遠の家族を組織されるのは,神殿においてのみです。

打ち砕かれた心と悔いる霊をもって自分の罪を真に悔い改めた人が,主の聖なる宮の中で主から完全に受け入れていただけることは明らかです。教義と聖約58:42参照)御存じのように,「神は人をかたよりみないかた」なのです。使徒10:34モロナイ8:12教義と聖約1:3538:16も参照)神殿の美しさの中でわたしがこよなく愛することの一つは,神殿参入者の間に,いかなる形であれ,貧富や階級,地位の差がないことです。神の前では皆が平等です。皆,清く義にかなった民であることを表す白い衣に身を包みます。教義と聖約100:16参照)愛にあふれた天の御父のふさわしい息子,娘になりたいという心の望みを持って,皆隣り合って座ります。

少し考えてみてください。世界中で,「聖なる神殿において得られる神聖な儀式と聖約」により,男女は「神のみもとに帰り,また家族として永遠に一つとなること」ができるのです。「家族―世界への宣言」『リアホナ』2010年11月,129)それが行われる美しく聖なる結び固めの部屋は,神殿にふさわしい全ての会員に開かれています。聖約を交わした後で向かい合うように設置された「神殿の鏡の中にいる自分たちの姿を見る」ことができます。「神殿の鏡は互いにどこまでも反対側の鏡を映し,そこに映っているものは永遠に続くように見えます。」(ジェリット・W・ゴング,「永遠に続く神殿の鏡――家族についての証」2010年10月)その鏡を見ていると,両親や祖父母,そして過ぎ去ったあらゆる世代に心を向けることができます。その神聖な聖約が,自分たちと後に続くあらゆる世代とを結びつけることに気づきます。この実に意義深い事柄は「神殿の中の自分の姿を見る」ことから始まるのです。