使徒行伝10:34
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、…
「神殿の中の自分の姿を見る」2016年4月、クエンティン・L・クック長老、十二使徒定員会
一方,主が永遠の家族を組織されるのは,神殿においてのみです。
打ち砕かれた心と悔いる霊をもって自分の罪を真に悔い改めた人が,主の聖なる宮の中で主から完全に受け入れていただけることは明らかです。(教義と聖約58:42参照)御存じのように,「神は人をかたよりみないかた」なのです。(使徒10:34。モロナイ8:12;教義と聖約1:35;38:16も参照)神殿の美しさの中でわたしがこよなく愛することの一つは,神殿参入者の間に,いかなる形であれ,貧富や階級,地位の差がないことです。神の前では皆が平等です。皆,清く義にかなった民であることを表す白い衣に身を包みます。(教義と聖約100:16参照)愛にあふれた天の御父のふさわしい息子,娘になりたいという心の望みを持って,皆隣り合って座ります。
少し考えてみてください。世界中で,「聖なる神殿において得られる神聖な儀式と聖約」により,男女は「神のみもとに帰り,また家族として永遠に一つとなること」ができるのです。(「家族―世界への宣言」『リアホナ』2010年11月,129)それが行われる美しく聖なる結び固めの部屋は,神殿にふさわしい全ての会員に開かれています。聖約を交わした後で向かい合うように設置された「神殿の鏡の中にいる自分たちの姿を見る」ことができます。「神殿の鏡は互いにどこまでも反対側の鏡を映し,そこに映っているものは永遠に続くように見えます。」(ジェリット・W・ゴング,「永遠に続く神殿の鏡――家族についての証」2010年10月)その鏡を見ていると,両親や祖父母,そして過ぎ去ったあらゆる世代に心を向けることができます。その神聖な聖約が,自分たちと後に続くあらゆる世代とを結びつけることに気づきます。この実に意義深い事柄は「神殿の中の自分の姿を見る」ことから始まるのです。
