「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -353ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝26:18
それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである。



「聖さと幸福の計画」2019年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
聖さを増し加えることが幸福への唯一の道であると,アルマは息子に教えています。そして,イエス・キリストの贖いによって清められ,完全になることによってさらに聖くなれることを分かりやすく説明しました。アルマ42:4-16参照)わたしたち皆が心から望み,確保しようとしている永続する幸福は,イエス・キリストへの信仰,常に悔い改め,聖約を守ることによってのみ得ることができます。

今日わたしは,個人の聖さが増すことによりさらに幸福になるということを皆さんが理解できるよう祈っています。そうすれば,皆さんがその信条に基づいて行動できるようになるからです。また,さらに聖くなる賜物を得るにふさわしくなるためにできることについて,わたしが自ら学んだことをお伝えします。

聖文の教えによると,わたしたちが聖められ,さらに聖くなることができるのは,イエス・キリストを信じる信仰を働かせ,使徒26:18エテル4:7参照)従順さを示し,教義と聖約88:34参照)悔い改め,3ニーファイ27:19-20参照)主のために犠牲を払い教義と聖約132:50参照),神聖な儀式を受け,主と交わした聖約を守る教義と聖約97:8参照)ときです。聖さという賜物を得るにふさわしくなるには,謙遜さヒラマン3:35参照),柔和さ教義と聖約101:1-5参照),忍耐1ヨハネ3:2-3教義と聖約112:13参照)が必要です。

……

ラッセル・M・ネルソン大管長は,聖約の道を歩んでさらに聖くなる方法について,最善の勧告を与えていると,わたしは思います。次の勧告で,その方法を示しています。

「日一日と行いを改善してより良い人になるという,日々の悔い改めの力を経験してください。

悔い改めを選ぶとき,わたしたちは変わることを選びます。自らを救い主に委ねて,最高の自分に変えていただくのです。わたしたちは霊的に成長し,喜びを受けることを選びます。それは主による贖いの喜びです。悔い改めを選ぶとき,もっとイエス・キリストのようになることを選んでいるのです。」

ネルソン大管長はこれに続けて,より聖くなるよう努めるわたしたちに,こんな励ましの言葉を与えてくれました。「この時点では,主はわたしたちに完全をお求めになりません。そうではなく,いっそう清くなるように求めておられます。日々の悔い改めは清さへの道で〔す〕。」(「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月の総大会)

……

賛美歌「さらに聖くなお努めん」の歌詞からは,さらに聖くなるためにどう助けを求めて祈ればよいかが分かります。作詞者は,わたしたちの求める聖さが愛する神からの賜物であり,自分にできることをすべて行った後に長い時間をかけて与えられるものだということを巧みに歌っています。3番の歌詞を皆さんは覚えていることでしょう。

汚れもなく
強くならん
この世離れ
天を望まん
われみ国に
ふさわしく
主のごとくに
尊くならん(「さらに清くなお努めん『賛美歌』74番)

どのような状況にあろうと,みもとに帰る聖約の道のどの地点にいようと,さらなる聖さを求めて祈るわたしたちの祈りがこたえられますように。嘆願が聞き届けられるとき,幸福は増し加えられます。時間がかかるかもしれませんが,幸福は必ず訪れます。愛あふれる天の御父とその愛する御子イエス・キリストは,そのことをわたしに確信させてくださいました。

 

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝26:13-18
王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。 わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。 そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。 わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。



「イエスの証に雄々しくある」2016年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
わたしたちは,あらゆる知識を大切にしており,また「神の栄光は英知である」教義と聖約93:36と信じています。しかし同時に,サタンが好む策略も知っています。救い主とその教えよりも人間の哲学を重んじさせることで,人を神から遠ざけ,つまずかせるという策略です。

使徒パウロは救い主に関して,人生を変える奇跡的な経験使徒 9:1–9;26: 13–18参照)をしたために,イエス・キリストの確かな証人となりました。パウロの独特な経歴は,様々な文化を背景にする人々とかかわり合う備えとなりました。パウロはテサロニケ人の「飾りけのない単純さ」やピリピ人の「優しい思いやり」を愛していましたが,(フレデリック・W・ファーラー,The Life and Work of St. Paul(1898年)319参照)知的で洗練されたギリシャ人とかかわるのは,当初より困難だと感じていました。アテネのアレオパゴスの評議所で,パウロは哲学的なアプローチを試みたのですが,拒否されてしまいます。そこでコリント人に対しては,「十字架につけられたキリストの教義」を簡潔に教えようと決心したのです。(ファーラー,The Life and Work of St. Paul319–320参照)使徒パウロ自身の言葉を引用しましょう。

「そして,わたしの言葉もわたしの宣教も,巧みな知恵の言葉によらないで,霊と力との証明によったのである。

それは,あなたがたの信仰が人の知恵によらないで,神の力によるものとなるためであった。」1コリント2:4-5

コリント人への第一の手紙には,救い主とその使命に関する聖句の中でも最もすばらしい記述が幾つもあります。特に第15章は,ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの作曲した「メサイア」(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル,Messiah, T・タータス・ノーブル編(1912年)参照)を通して全世界に知られています。そこには救い主に関する深遠な教義が含まれています。「メサイア」の第3部で「ハレルヤコーラス」の直後に歌われる聖句の大半は,コリント人への第一の手紙からの引用です。この聖句の一部で,パウロは,救い主が成し遂げられた事柄を幾つか美しく表現しています。

「事実,キリストは眠っている者の初穂として,死人の中からよみがえったのである。
それは,死がひとりの人によってきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。……
『死よ,おまえの勝利は,どこにあるのか。死よ,おまえのとげは,どこにあるのか。』……

しかし感謝すべきことには,神はわたしたちの主イエス・キリストによって,わたしたちに勝利を賜わったのである。」1コリント15:20-22,55,57

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝26:8
神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。 



「復活についての使徒の証」(英文)1986年4月、パワード・W・ハンター、十二使徒定員会
パウロはアテネのアレオパゴスの評議所において, 「〔神は〕このかたを死人の中からよみがえらせ, その確証をすべての人に示された」(使徒17:31) と言いました。またパウロはアグリッパ王の前で次のような質問をしました。「神が死人をよみがえらせるということが, あなたがたには, どうして信じられないことと、思えるのでしょうか。」(使徒26:18)

パウロは, 復活について使徒としての証を, コリント人への手紙の中でも述べています。

「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは, 主にあるわたしの働きの実ではないか。… … あなたがたが主にあることは,わたしの使徒職の印なのである。」(1コリント9:1-2)

「しかし… … キリストは眠っている者の初穂として, 死人の中からよみがえったのである。… … キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(1コリント15:20,22)

私はこの聖なる使徒職を身に受ける特権について,また主なるイエス・キリストの弟子である現代の十二使徒定員会の方々と日々共に働く特権について, へりくだって証させていただきます。私たちは「キリストの御名の特別の証人」(教義と聖約107:23) として進み行きます。使徒の方々は常にそのように証してきました。

……

キリストは使徒たちに教えを施されたとき, 「人の子は必ず多くの苦しみを受け, 長老, 祭司長, 律法学者たちに捨てられ, また殺され, そして三日の後によみがえる」(マルコ8:31) ことを明らかにされました。そして, 事実そのようになりました。キリストは十字架に掛けられ, 墓に収められました。そして,3日目に, 再びよみがえりました。全人類の救い主として,復活の初穂となられたのです。この願いの犠牲により,すべての人は死から救われ,再びよみがえります。これは常に使徒たちの証となってきました。私はそれに,私自身の証を付け加えさせていただきます。イエス・キリストのみ名により申しあげます。アーメン。