使徒行伝26:13-18 イエスの証に雄々しくある | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝26:13-18
王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。 わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。 そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。 わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。



「イエスの証に雄々しくある」2016年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
わたしたちは,あらゆる知識を大切にしており,また「神の栄光は英知である」教義と聖約93:36と信じています。しかし同時に,サタンが好む策略も知っています。救い主とその教えよりも人間の哲学を重んじさせることで,人を神から遠ざけ,つまずかせるという策略です。

使徒パウロは救い主に関して,人生を変える奇跡的な経験使徒 9:1–9;26: 13–18参照)をしたために,イエス・キリストの確かな証人となりました。パウロの独特な経歴は,様々な文化を背景にする人々とかかわり合う備えとなりました。パウロはテサロニケ人の「飾りけのない単純さ」やピリピ人の「優しい思いやり」を愛していましたが,(フレデリック・W・ファーラー,The Life and Work of St. Paul(1898年)319参照)知的で洗練されたギリシャ人とかかわるのは,当初より困難だと感じていました。アテネのアレオパゴスの評議所で,パウロは哲学的なアプローチを試みたのですが,拒否されてしまいます。そこでコリント人に対しては,「十字架につけられたキリストの教義」を簡潔に教えようと決心したのです。(ファーラー,The Life and Work of St. Paul319–320参照)使徒パウロ自身の言葉を引用しましょう。

「そして,わたしの言葉もわたしの宣教も,巧みな知恵の言葉によらないで,霊と力との証明によったのである。

それは,あなたがたの信仰が人の知恵によらないで,神の力によるものとなるためであった。」1コリント2:4-5

コリント人への第一の手紙には,救い主とその使命に関する聖句の中でも最もすばらしい記述が幾つもあります。特に第15章は,ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの作曲した「メサイア」(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル,Messiah, T・タータス・ノーブル編(1912年)参照)を通して全世界に知られています。そこには救い主に関する深遠な教義が含まれています。「メサイア」の第3部で「ハレルヤコーラス」の直後に歌われる聖句の大半は,コリント人への第一の手紙からの引用です。この聖句の一部で,パウロは,救い主が成し遂げられた事柄を幾つか美しく表現しています。

「事実,キリストは眠っている者の初穂として,死人の中からよみがえったのである。
それは,死がひとりの人によってきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。……
『死よ,おまえの勝利は,どこにあるのか。死よ,おまえのとげは,どこにあるのか。』……

しかし感謝すべきことには,神はわたしたちの主イエス・キリストによって,わたしたちに勝利を賜わったのである。」1コリント15:20-22,55,57