「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -350ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ローマ2:11
なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。 


「主とのパートナーシップの下で」2022年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
男女のパートナーシップを強固にする二つの基本原則について考えてみましょう。一つ目の原則は,わたしたちは皆,神にとって等しい存在であるということです。ローマ2:111ニーファイ17:35; 2ニーファイ26:33参照)福音の教義によれば,神が御自分の息子と娘に与えておられる永遠の約束は,男女の違いのために覆されることはありません。永遠において,一方が他方よりも日の栄えの栄光を受ける可能性が高いということはありません。モーサヤ2:41参照)救い主御自身が,「御自分のもとに来て主の慈しみにあずかるよう」,神の子供であるわたしたち皆を招いておられ,主は「〔御自分〕のもとに来る者を決して拒まれ〔ません〕。」2ニーファイ26:33ですから,この意味で,わたしたちは皆,神の前に等しい存在であるとみなされます。

夫婦がこの原則を理解し,受け入れるとき,自分を家族の大統領または副大統領と位置づけることはないはずです。夫婦の関係に優劣はなく,どちらも相手より前に出たり,後ろに下がったりすることはしません。神の子供たちとして,対等に横に並んで歩むのです。夫婦は,思いと望みと目的において,天の御父とイエス・キリストと一つになり,(『聖句ガイド』「一致」の項)家族をともに導きます。

対等なパートナーシップにおいて,「愛は所有するものではなく,分かち合うものであって,……わたしたち人間が協力して作り出すものの一つです。」(Madeleine L’Engle, The Irrational Season (1977), 48.)「苦楽を共にする夫婦は一体となることにより,『永遠の主権』という,一人だけではなし得ない結果を生み出します。その主権は,『強いられることなく,とこしえにいつまでも』霊的な命となって二人に流れ,その子孫に受け継がれます。」(ブルース・C・ヘーフェン,マリー・K・ヘーフェン「人生の波を乗り越えて対等なパートナーになる」『リアホナ』2007年8月号,29-30。教義と聖約121:45-46も参照)

二つ目の関連する原則は,山上の垂訓で救い主が教えられた「黄金律」,すなわち「人々にしてほしいと,あなたがたの望むことを,人々にもそのとおりにせよ」ルカ6:31マタイ7:12も参照)ということです。この原則は,互いに関係し合い,利益を与え合い,一致し,頼り合う姿勢を表しており,「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」マルコ12:31という大切な第二の戒めに基づいています。これは,寛容,温厚,柔和,優しさなど,クリスチャンのほかの特質とも結びついています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ローマ2:6-9

神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ…

 

 

「忍耐 ー 幸福への鍵」(英文)1987年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

主イエス・キリストは, 忍耐の完全な模範です。真理に関しては決して妥協されることのない主も, この世にあってみ業についておられたときはたびたび忍耐を示されました。主は, 十二使徒を含め弟子たちの信仰が薄く, 主の神聖な召しをなかなか理解できないでいるときにも忍耐を持って彼らを導かれました。またご自分を苦しめた群衆, 罪を犯した女,癒しの力を求めた人々, 幼な子たちにも忍耐を示されました。そして最後には,あざけりの中での裁判とはりつけの苦しみをも, 忍耐を持って身に受けられたのです。

改宗してからローマで殉教するまでの約30年間にわたる伝道中,使徒パウロは5度もむち打たれ,少なくとも3度は意識を失うほどのひどい打ち方をされています。また数回にわたり投獄され,船は3度にもわたり難破し,あるときは石で打たれ,死んだようになって道に横たわっていたこともありました。このような苦難にもめげず,彼は力強く伝道の業を推し進めたのです。彼はローマ人にこう書き送っています。

 

「神は,おのおのに,そのわざにしたがって報いられる。
すなわち,一方では,耐え忍んで善を行って,栄光とほまれと朽ちぬものとを求める人に,永遠のいのちが与えられ,

他方では,党派心をいだき,真理に従わないで不義に従う人に,怒リと激しい憤リとが加えられる。」ローマ2: 6 -9)

……

私はこの世にあって,不安や試練,様様な圧力や苦難に直面し,逆境の最中に立たされても忍耐強くあるように祈ってやみません。

忍耐は神の特質のひとつであることを証し,話を終えたいと思います。私は天父が生きておられ,私たち一人一人を愛してくださっていること, またイエス・キリストであり,私たちの主,救い主であることを証します。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ローマ2:1
だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。


「憐れみ深い人たちは憐れみを受ける」2012年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
地上のすべての人は,争い,憤り,復讐心という破壊的な感情に何らかの形で影響されていることでしょう。自分がこの感情を抱いていることに気づくことさえあるでしょう。不快感や怒り,ねたみを抱くとき,自分の憤りを正当化するために,相手の行動には邪悪な動機があると決めつけて,裁くことは容易なことです。

もちろん,それが正しくないことはだれもが知っています。教義は明らかです。わたしたちは皆救い主に依存していて,救い主なしにはだれも救われません。キリストの贖罪は無限であり永遠です。わたしたちの罪の赦しは条件付きです。悔い改めが必要で,人を快く赦さなければなりません。イエスはこう教えておられます。「互いに赦し合〔いなさい〕。……過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。」教義と聖約64:9「あわれみ深い人たちは,さいわいである,彼らはあわれみを受けるであろう。」マタイ5:7

これらの言葉は,他人に当てはめる場合には,まったくそのとおりだと思えます。他人が裁き,悪意を持つときには,その弊害がはっきり見えます。また,確かに,人から裁かれるのは嫌なものです。

しかし,自分が偏見や不満を抱いている場合,自分の怒りは義にかなっていて,判断は確かだと正当化してしまうことが頻繁にあります。人の心の中をのぞけないのに,悪い動機あるいは悪い人間までも,見れば分かると思い込んでいるのです。自分が悪感情を抱いているときだけは,例外を設けてしまいます。なぜなら,だれかほかの人を軽蔑して然るべき情報を自分はすべて得ていると感じてしまうからです。

使徒パウロはローマ人への手紙の中で,人を裁く者は「弁解の余地がない」と言っています。また,罪のない人はだれもいないので,相手を裁く瞬間に自分自身を罪に定めるのであるとも述べています。ローマ2:1参照)赦さないのは重大な罪です。救い主はこの罪について警告しておられます。イエスの弟子たちは,「互いに機をうかがい合い,またその心の中で互いを赦さなかった。そして,この悪のゆえに彼らは苦しめられ,ひどく懲らしめられた」教義と聖約64:8とあります。

救い主はこの件に関して,誤解する余地がないほどはっきり述べておられます。「主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。」しかし一方で主はこう言われました。「あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」教義と聖約64:10

ここで一つの注釈を加えたいと思います。すべての人を赦すようにと主が求められるとき,そこには自分自身を赦すことも含まれています。時々,世界中のすべての人の中で赦すのが最も難しい人,そして恐らくわたしたちの赦しを最も必要としている人,それは鏡の中から自分を見詰め返している人です。

人を裁くというテーマに関しては,実に簡潔な言葉で教えることができます。憎しみ,うわさ話,無視,あざけり,悪意,傷つけたいという衝動を抑えるためには,次の指示に従ってください。

やめなさい!