彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。
「主の道にかないて」(英文)1986年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
時と所により理由は異なりますが、貧しい人、困っている人は、ほとんどいつの時代にもいました。理由にかかわりなく、私たちの天父は彼らに関心を持っておられます。皆、天父の子供であり、天父は彼らを愛し、心にかけておられます。
旧約聖書には数々の教訓が収められていますが、主が預言者を遣わしてイスラエルを背教から呼び戻そうとされたときには、ほとんど例外なく、貧しい者を放っておいたことを責められています。
聖典の教えでは、貧しい者、特に寡婦、孤児、旅人は、長いこと神および信心深い人々の関心の対象になってきました。貧しい者は律法により特に守られてきました。旧約聖書の教えでは、収穫のときには、貧しい者は落ち穂を拾うことを許されていました。(ルツ2:7;レビ19:10;23:22)果実の収穫のときには、枝に残ったものは貧しい人々のものでした。7年ごとの安息の年や、50年目のヨベルの年には、植えたり耕したりすることなく自然に生えるものは、飢えた人々のものでした。
貧しい者を世話する者には祝福が約束されていました。主はそのような人を悩みの日に救い出されると言われました(詩篇41:1参照)。箴言には次のように真理が教えられています。「貧しい人をあわれむ者はさいわいである。」(箴言14:21)「正しい人は貧しい者の訴えを顧みる。」(箴言29:7)
救い主が地上で導きと教えを施しておられたとき、いつも貧しい者に関心を寄せるということを再び強調されました。主が金持ちの青年に答えられた言葉を思い出してください。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい。」(マタイ19:21。ルカ18:22も参照)
珠玉のようなたとえ話の一つで、主はこの教えを説明されました。それは空腹のときに食べさせ、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸した人の話です。主はこれらのことをご自身になされたこととみなされ、このように教えられました。「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25:40)そして、これらの者を世話しなかった人に主はこのように勧告されました。「あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである。」(マタイ25:45)


