1コリント1:27
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、……
「帰郷—切なる望み」2017年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
自分はそれほど役に立つとも,だれかの人生を祝福するほどの存在だとも思わないかもしれません。わたしたちは往々にして,自分の限界や欠けているところしか見ていないものです。神に用いられるには,さらに知的で,裕福で,カリスマ性や才能にあふれ,より霊的でなければならない,つまり,何かが「さらに」必要だと思うかもしれません。ところが祝福は,わたしたちの能力ではなく,わたしたちの選びによってもたらされるものなのです。宇宙をつかさどる神は,皆さんの中で,皆さんを通して働かれ,神の目的を果たそうと皆さんがささげる謙遜な努力を大いなるものとしてくださいます。
主の業は常に,次の重要な原則に基づいて進んできました。「小さなことから大いなることが生じる」(教義と聖約64:33)のです。
使徒パウロはコリントの聖徒たちに対して,彼らの中でこの世の標準から見て賢いと見なされる人は多くないだろうと述べています。しかし,それは問題ではありませんでした。なぜなら「神は……強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を〔お〕選び」(1コリント1:27)になるからです。
神の業の歴史に登場するのは,自分自身を不十分だと考える人々ばかりです。しかし,彼らは神の恵みと約束に頼りながら謙遜に仕えました。「彼らの腕はわたしの腕となる。わたしは彼らの盾となり……彼らはわたしのために勇敢に戦うであろう。……わたしは……彼らを守ろう。」(教義と聖約35:14)


