ローマ8:5-6
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
「霊性」(英文)1985年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
信仰を持つ人にとって,霊性とは人生を眺めるレンズであり,それはまた人生を評価する物差しでもあります。パウロはふたつの手紙の中でこのことについて述べています。
「わたしたちは,見えるものにではなく,見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり,見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント4:18)
「肉に従う者は肉のことを思い,霊に従う者は霊のことを思うからである。
肉の思いは死であるが,霊の思いは,いのちと平安とである。」(ローマ8:5-6)
霊的であるとは,自分の経験を永遠という大きな観点に立って眺め,評価できるということです。
私たちは皆,この世を眺めるレンズを持っています。レンズは私たちの見るものに特別な色合いをつけます。また,あるものをぼかし,あるものを鮮明に見せることもできれば,肉眼では見えないものを見えるようにすることもできます。霊性のレンズを使えば,「神の思い」を「神の御霊」(1コリント2:11)によって知ることができます。使徒パウロが教えたように,神の思いは「生れながらの人」にとって「愚かなもの」です。神の思いは「御霊によって判断されるべき」(1コリント2:14) ものであるために,生まれながらの人にはそれが見えません。
自分の経験をどう解釈するかは,私たちの霊性の度合にかかっています。世の中には,この世の業績や財産だけに基づいて人生を評価する人がいます。しかし,私たちイエス・キリストの福音の証を持つ者は,人生の目的や救い主の使命に関する知識,および神の子供たちの永遠の行く末についての知識に基づいて自分の経験を評価します。


