ローマ8:5
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。
「すべてのことの真理」2017年10月、デビッド・F・エバンズ、七十人定員会
若い男性のころ,わたしは教会についてたくさん疑問がありました。心から知りたいと思っていたものもあれば,そうではなく,ほかの人が疑っているからというものもありました。
そうした疑問について,よく母と話しました。質問の多くは真心からのものであることを,きっと母は感じてくれていたのでしょう。それほど知りたいわけではない議論を吹きかけるような質問には,少しがっかりしていたのではないかと思います。それでも,疑問を抱くわたしを決してけなしたりしませんでした。耳を傾け,質問に答えようとしてくれました。自分に言えることを言い尽くし,それでもなおわたしが疑問に思っていると感じるとき,母はこんなふうに言うのでした。「デビッド,それはいい質問ね。あなたが答えを受けるために探し求め,聖文を読み,祈っているのなら,すべきだと知っていることを行い,すべきでないと知っていることを行わないようにしてみたらどう?」これはわたしが真理を探求する方法となりました。研究と祈りと戒めを守ることを通して,わたしは自分のすべての重要な疑問に答えがあることを知りました。また,一部の疑問には,変わらぬ信仰と忍耐と,さらなる啓示が必要であることも知りました。(公式の宣言2)
母は,信仰を育み,答えを見いだす責任をわたしに課しました。天の御父が定めておられる方法でわたしが真理を求めることによって,重要な答えはもたらされる,と知っていたのです。母はわたしが真理を見いだす必要があることを知っていました。誠実な思いで尋ね,すでに真実だと知っていることに基づいて進んで行動する必要があることを知っていました。研究し,祈る必要があることと,主からの答えを求めながらさらに忍耐を身につける必要があることを知っていました。進んで忍耐することは真理の探求に欠かせない要素であり,主が真理を明らかになさる方法の大切な一部なのです。(ルカ21:15;ローマ8:5;アルマ32:41-43;エテル12:19;教義と聖約21:5;101:38;107:30-31参照)
やがて,わたしは母が真理を探求する天の御父の方法をわたしに教えてくれているのだと分かりました。信仰が強まり,答えを得るようになり,わたしは伝道の召しを受け入れました。
