1コリント1:18
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
「光と真理の証を受ける」2014年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
科学者は長い間,宇宙の大きさを理解しようと苦労していました。それは観測機器の進歩によってもっと多くの光を集めることができ,さらに完全な真理を理解できるようになるまで続きました。
使徒パウロは霊に関わる知識について同じような原則を教えています。「生れながらの人は,神の御霊の賜物を受けいれない」とパウロはコリントの弟子たちに書き送っています。「それは彼には愚かなものだからである。また,御霊によって判断されるべきであるから,彼はそれを理解することができない。」(1コリント2:14)
言い換えれば,もし霊的な真理を知りたいと望むなら,正しい機器を使わなければならないということです。霊的な真理を感知できない機器では,そのような真理を理解することはできないからです。
救い主は現代のわたしたちにこう教えておられます。「神から出ているものは光である。光を受け,神のうちにいつもいる者は,さらに光を受ける。そして,その光はますます輝きを増してついには真昼となる。」(教義と聖約50:24)
心と思いを神に向ければ向けるほど,天の光が与えられます。そして,熱心に進んでその光を求めるたびに,わたしたちはさらなる光を受ける備えができていることを神に示します。ぼやけて,暗く,遠くに見えていたものが,徐々にはっきりとした,輝きのある,慣れ親しんだものになっていきます。
同様に,福音の光から離れると,1日や1週間のうちにではなく長い時間をかけて徐々にですが,わたしたちの光は輝きを失っていきます。やがて振り返ってみると,どうして福音が真実であると信じていたのかさえ理解できなくなってしまうのです。以前の知識が愚かにすら思えるのは,かつてあれほどはっきり見えていたものが,再びぼやけ,かすんで,遠くになってしまったからです。
だからこそパウロは,福音のメッセージは滅びゆくものには愚かだけれども,「救にあずかる〔者たち〕には,神の力である」と強調したのです。(1コリント1:18)
