「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -316ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル5:8
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、


「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」2014年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
前世における天上の大会議で,ルシフェルは天の御父の計画に反発しました。ルシフェルに従った者たちは自らの永遠の進歩を終わらせたのです。誰に従うかは十分に気をつけなくてはなりません。

そのとき,イエスは従う決意を表してこう言われました。「父よ,あなたの御心が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように。」モーセ4:2主はその務めの間中,「数々の誘惑に遭われたが,それらを少しも心に留められ」ませんでした。教義と聖約20:22 そして実に,「さまざまの苦しみによって従順を学〔ばれ〕」たのです。ヘブル5:8

救い主は従順であったため,わたしたちの罪を贖い,わたしたちの復活を可能にし,わたしたちが天の御父のみもとに帰る道を備えられました。御父は,わたしたちが死すべき世で従順を学ぶとき,間違いを犯すということを御存じでした。わたしたちは従うときに,救い主の犠牲を受け入れます。なぜなら,わたしたちは,イエス・キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式,また与えられた戒めに従うことによって救われ得ると信じるからです。信仰箇条1:3参照)

イエスは,理解しやすい簡潔な言葉で,従うようわたしたちに教えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」ヨハネ14:15そして「わたしに従ってきなさい。」ルカ18:22

わたしたちはバプテスマを受けるとき,「キリストの御名を受けて,」生涯の最後まで従うと「神と聖約を交わし」モーサヤ5:8ます。毎週日曜日に聖餐を受け,進んで戒めを守ることを証明することにより,そのバプテスマの聖約を新たにします。天の御父の御心に添わない思いや気持ち,あるいは行いについて赦しを求めます。不従順を避け,再び従い始めることを通して悔い改めるときに,わたしたちは御父に対する愛を示すのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル4:16
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。


「ぶどう園の労働者たち」2012年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
今日この話を聞いている多くの人の中で,だれがこのたとえにある赦しのメッセージを必要としているか分かりませんが,自分でもう手遅れだと思い込み,機会を逃したと考え,多くの過ちを犯してしまったと感じていても,あるいは自分には才能がないと思い,家庭や家族からも,神からも,遠く離れてしまったと感じていても,わたしは証します,あなたは神の愛が及ばないほど遠くにいるわけでは ありません。キリストの贖いの無限の光が届かない深みなどあり得ないのです。

あなたがまだ教会員でなくとも,教会から離れていった人でも,あなたが過去にしたことの中で,元に戻すことのできない事柄はありません。克服できない問題はありません。永遠という時が流れてもなお実現することのない夢など一つもありません。たとえ自分は11時間忘れられていた最後の労働者だと感じたとしても,ぶどう園の主は今なお立って招いておられます。「はばかることなく恵みの御座に近づ〔き〕」ヘブル4:16イスラエルの聖者の足もとにひれ伏しなさい。来て,主の食卓のごちそうを「金を出さずに,ただで」イザヤ55:1味わいなさい。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル4:15
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。



「選択の自由――命の計画になくてはならないもの」2010年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
現在,サタンとサタンに従う者たちが持っている力は,人を誘惑し,試す力だけです。彼らの唯一の喜びは,わたしたちを「〔彼ら〕のように惨めに」2ニーファイ2:272ニーファイ9:9も参照)することであり,唯一の楽しみは,わたしたちを主の戒めに不従順にすることです。

しかし,よく考えてください。わたしたちは前世で救い主イエス・キリストに従うことを選びました。そのため,地上に来ることを許されました。この地上にいる今も同じように救い主に従うことを選ぶなら,さらに大いなる祝福を永遠に受けることをわたしは証します。しかし忘れないでください。救い主に従うことを引き続き選ばなければならないのです。これは永遠にかかわる問題であり,選択の自由を賢明に使うことは永遠の命を得るために不可欠なのです。

救い主は生涯を通じて,選択の自由をどのように使うべきかを示されました。エルサレムでの少年時代に, イエスは自ら選択して御父の業に携わられました。ルカ2:49人々を教え導くとき,従順に「父の御心を行う」3ニーファイ27:13ことを選び,ゲツセマネではあらゆる苦しみを受けることを選んで,言われました。「『わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。』そのとき,天使が天からあらわれてイエスを力づけ」ルカ22:42-43ました。十字架上で主は敵を愛することを選んで祈られました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」ルカ23:34そしてついに,御自身の選びであることを証明するために,主は孤立無援の状態になって,「〔父よ〕どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46マルコ15:34とお尋ねになりました。主は最後まで選択の自由を行使し,そして言われました。「すべてが終わった。」ヨハネ19:30

主は「すべてのことについて,わたしたちと同じように試練に会われ」ヘブル4:15すべての選びと行いにおいて選択の自由を行使して救い主となり,人のために罪と死の鎖を断ち切ってくださいました。また完全な生活を送ることによって,天の御父の御心を行うならば選択の自由が守られ,機会が広がり,成長できることを教えてくださいました。

この真理は聖文の至る所で見られます。ヨブは持てるものをすべて失いながらも忠実であることを選んだので,神の永遠の祝福を得ました。マリヤとヨセフが天使の警告に従ってエジプトに逃れる選択をしたので,救い主の命が守られました。ジョセフ・スミスがモロナイの指示に従うことを選んだので,預言された回復の業が始まりました。わたしたちはキリストのみもとに来て,キリストの御名を受け,キリストの僕に従うことを選ぶかぎり,永遠の命への道を歩むのです。