「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -315ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル8:11
彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。


「なぜ教会が」2015年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
この教会は,どのようにして主の目的を達成しているのでしょうか。神の究極の目的が,人の進歩成長であるという知識は大切です。神は,人が「恵み​に​恵み​を​受け​続け,ついに〔神が人に与えられる〕​完全​を​受け」教義と聖約93:13 ることを望んでおられます。そうなるためには,単に善良であり,霊的であると感じる以上のことが求められます。イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,水と霊のバプテスマ,終わりまで信仰をもって堪え忍ぶことが求められます。2ニーファイ31:17-20 参照) そのようなことを一人ですることはできません。ですから,主が教会を所有しておられる重要な理由の一つは,「永遠​の​命​に​至る​​細くて​狭い​​道」2ニーファイ31:18 にあって互いを支え合う聖徒の共同体を作ることなのです。

「そして〔キリスト〕は,ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を伝道者とし,ある人を牧師,教師として,お立てになった。

それは,……奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,

わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」エペソ4:11-13

イエス・キリストは「〔わたしたち〕​の​信仰​の​​創始​者​で​あり​完成​者​」モロナイ6:4 です。キリストのからだ―すなわち教会―に自分自身を結びつけることは,御子の御名を受けるうえで大切なことです。3ニーファイ27:5-7 参照) 古代において「教会員​は​​断食​し,祈る​ため,また​人​の​幸い​に​ついて​互いに​語り合う​ため​に」モロナイ6:5 ,また,「主​の​言葉​を​聞く​ため​に​しばしば​集まった」4ニーファイ1:12 と,教えられています。今日の教会も同じです。わたしたちは信仰のうちに結び合い,互いに教え,教化し合い,弟子の最も高い基準に,そして「キリストの満ちみちた徳の高さ」にまで至るよう努めています。わたしたちは「神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識」に到達するよう互いに助け合っています。エペソ4:13 「人はもはや,おのおのその隣……に教えて,『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは,彼らが小より大に至るまで皆,わたしを知るようになるからであると主は言われる」という約束が成就する日が来るまで,主を知るために助け合うのです。エレミヤ31:34 ヘブル8:11 も参照)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。


「もしあなたがたがわたしを知っていたならば」2016年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
主を信じる信仰を働かせ,主に従い,主に仕えながら,主を信じないなどということがあり得るのでしょうか。

……

新約聖書の中で,ある父親が救い主に自分の子供を癒してくださるように願いました。イエスはお答えになりました。

「『もし信じることができるならば,信ずる者には,どんな事でもできる。』

その子の父親はすぐ叫んで,涙を流しながら言った,『信じます。不信仰なわたしを,お助けください。』」(欽定訳〔英文〕マルコ9:23-24から和訳)

「不信仰なわたしを,お助けください」という父親の願いについて,何度も思い巡らし,彼の願いは,何よりもまずイエスを贖い主,癒しの力を持つ御方として信じられるように助けてほしい,ということだったのではないかと思います。すでに彼は,キリストを神の御子として認めていたのではないでしょうか。それでも,主の癒しの力が自分の愛する息子を祝福してくださるほど個人的に与えられると信じたいと思い,助けを求めたのかもしれません。キリストを一般的な意味で信じてはいても,具体的に,そして個人的には信じていなかったのかもしれません。

真実であると知っていることについて,わたしたちはよく証します。しかし,自分が知っていることを信じているかどうかを問いかける方がわたしたち,一人一人にとってより適切かもしれません。

正しい神権の権能によって執行された神聖な儀式は,救い主を信じ,主を知るようになり,最終的には知っていることを信じるために不可欠です。

「また,この〔メルキゼデク〕神権は福音をつかさどり,王国の奥義の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。

それゆえ,この神権の儀式によって神性の力が現れる。」教義と聖約84:19-20

メルキゼデク神権を通して執行された神の知識の鍵が扉を開け,わたしたち一人一人が生活の中で神性の力を受けるとき,主を信じ,主を知るようになります。神聖な儀式を受け,忠実にそれを尊ぶことによって主に従い,わたしたちの顔に神の面影をさらに受けるにつれて,救い主を信じ,主を知るようになります。アルマ5:14,19参照)主の贖罪が持つ,人を変化させ,癒し,強め,聖める力を個人的に経験するにつれて,キリストを信じ,キリストを知るようになります。「神の御言葉の力」アルマ26:13がわたしたちの中に根を張り,思いや心の中に書きつけられヘブル8:10参照),「〔主〕を知……るように,〔わたしたちが〕自分の罪をすべて捨て」アルマ22:18るとき,主を信じ,主を知るようになります。

主を信じるとは,主の豊かな祝福をわたしたち個人の生活と家族の中で受け,当てはめることができると信頼することです。聖約の道を前進し,自分の意思を主の優先順位と主が定めてくださった時期に従わせるとき,わたしたちは全身全霊を込めて主を信じるようになります。オムナイ1:26参照)主を信じる,つまり主の力と約束が真実であると受け入れることによって,自分の生活に正しいものの見方と平安と喜びがもたらされます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル5:8-9
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、 そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、 


「従順は祝福をもたらす」2013年4月、トーマス・S・モンソン大管長
兄弟姉妹の皆さん,この人生の大きなテストは,従順であることです。主はこう言われました。「わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」アブラハム3:25

救い主はこう宣言されました。「わたしから祝福を受けたいと思う者は皆,その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は,創世の前から定められたものである。」教義と聖約132:5

わたしたちの救い主以上に従順の模範はおられません。パウロはこう述べています。

「彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによって従順を学び,

そして,全き者とされたので,彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源と〔なられた。〕」ヘブル5:8-9

救い主は完全な人生を送ることにより,御自分の聖なる使命を果たすことにより,神への愛を示されました。主は高ぶることも,尊大になることも,不忠実になることもありませんでした。常に謙遜で,誠実で,従順であられました。

……

初期の使徒たちと同じ指示を,救い主はわたしや皆さんに与えておられます。「わたしに従ってきなさい。」ヨハネ21:22わたしたちは従順になる決意ができているでしょうか。 

わたしたちが求める知識,切に願う答え,また,複雑で常に変化するこの世の試練に立ち向かうために必要な強さも,進んで主の戒めを守ることによって得ることができます。もう一度主の言葉を引用します。「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」教義と聖約93:28

わたしたちが,従順によって得られる豊かな報いをもって祝福を得られますように,へりくだりお祈りします。わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名により,アーメン