ヘブル8:11
彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
「なぜ教会が」2015年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
この教会は,どのようにして主の目的を達成しているのでしょうか。神の究極の目的が,人の進歩成長であるという知識は大切です。神は,人が「恵みに恵みを受け続け,ついに〔神が人に与えられる〕完全を受け」(教義と聖約93:13) ることを望んでおられます。そうなるためには,単に善良であり,霊的であると感じる以上のことが求められます。イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,水と霊のバプテスマ,終わりまで信仰をもって堪え忍ぶことが求められます。(2ニーファイ31:17-20 参照) そのようなことを一人ですることはできません。ですから,主が教会を所有しておられる重要な理由の一つは,「永遠の命に至る細くて狭い道」(2ニーファイ31:18) にあって互いを支え合う聖徒の共同体を作ることなのです。
「そして〔キリスト〕は,ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を伝道者とし,ある人を牧師,教師として,お立てになった。
それは,……奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,
わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」(エペソ4:11-13)
イエス・キリストは「〔わたしたち〕の信仰の創始者であり完成者」(モロナイ6:4) です。キリストのからだ―すなわち教会―に自分自身を結びつけることは,御子の御名を受けるうえで大切なことです。(3ニーファイ27:5-7 参照) 古代において「教会員は断食し,祈るため,また人の幸いについて互いに語り合うために」(モロナイ6:5) ,また,「主の言葉を聞くためにしばしば集まった」(4ニーファイ1:12) と,教えられています。今日の教会も同じです。わたしたちは信仰のうちに結び合い,互いに教え,教化し合い,弟子の最も高い基準に,そして「キリストの満ちみちた徳の高さ」にまで至るよう努めています。わたしたちは「神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識」に到達するよう互いに助け合っています。(エペソ4:13) 「人はもはや,おのおのその隣……に教えて,『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは,彼らが小より大に至るまで皆,わたしを知るようになるからであると主は言われる」という約束が成就する日が来るまで,主を知るために助け合うのです。(エレミヤ31:34 。ヘブル8:11 も参照)
