ヘブル5:8
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、
「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」2014年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
前世における天上の大会議で,ルシフェルは天の御父の計画に反発しました。ルシフェルに従った者たちは自らの永遠の進歩を終わらせたのです。誰に従うかは十分に気をつけなくてはなりません。
そのとき,イエスは従う決意を表してこう言われました。「父よ,あなたの御心が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように。」(モーセ4:2)主はその務めの間中,「数々の誘惑に遭われたが,それらを少しも心に留められ」ませんでした。(教義と聖約20:22) そして実に,「さまざまの苦しみによって従順を学〔ばれ〕」たのです。(ヘブル5:8)
救い主は従順であったため,わたしたちの罪を贖い,わたしたちの復活を可能にし,わたしたちが天の御父のみもとに帰る道を備えられました。御父は,わたしたちが死すべき世で従順を学ぶとき,間違いを犯すということを御存じでした。わたしたちは従うときに,救い主の犠牲を受け入れます。なぜなら,わたしたちは,イエス・キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式,また与えられた戒めに従うことによって救われ得ると信じるからです。(信仰箇条1:3参照)
イエスは,理解しやすい簡潔な言葉で,従うようわたしたちに教えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」(ヨハネ14:15)そして「わたしに従ってきなさい。」(ルカ18:22)
わたしたちはバプテスマを受けるとき,「キリストの御名を受けて,」生涯の最後まで従うと「神と聖約を交わし」(モーサヤ5:8)ます。毎週日曜日に聖餐を受け,進んで戒めを守ることを証明することにより,そのバプテスマの聖約を新たにします。天の御父の御心に添わない思いや気持ち,あるいは行いについて赦しを求めます。不従順を避け,再び従い始めることを通して悔い改めるときに,わたしたちは御父に対する愛を示すのです。