「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -317ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル4:12
というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。



「永遠のための決断」2013年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
わたしたちは自分の行動を変えられます。望みさえも変えられます。その方法は何でしょうか。方法はただ一つです。イエス・キリストの贖罪が持つ癒し,清め,また人に能力を与える力によってのみ,わたしたちはほんとうに永久に変われるのです。教義と聖約138:4信仰箇条1:3参照) イエス・キリストは皆さん一人一人を愛しておられます。エテル12:33-34モロナイ8:17参照) 熱心に,誠実に,厳密に戒めを守るとき,あなたはイエス・キリストの力に近づくことができます。それは簡単で,確実です。イエス・キリストの福音はまさに変化を可能にする福音なのです。モーサヤ5:2アルマ5:12-14参照)

肉の欲を制する力を持つ,霊の力の強い人は,感情と熱情を治める主人であり,それらの奴隷ではありません。体に酸素が必要であるように,霊にはその種の自由が不可欠です。自分への隷属状態からの自由こそ,ほんとうの自由なのです。ローマ8:13-17ガラテヤ5:13-25教義と聖約88:86参照)

……

愛する兄弟姉妹の皆さん,毎日が決断の日です。そして,自分の決断が自分の行く末を決めます。いつの日か,わたしたち一人一人は主の前に立って裁きを受けます。2ニーファイ9:41,46モーサヤ16:10参照) 各自がイエス・キリストから個人面接を受けます。教義と聖約137:9参照。ヘブル4:12アルマ18:32教義と聖約6:1688:109も参照) わたしたちは自分の体,霊的な特質に関して行った決断について,また結婚と家族に関する神の方式をどのように尊んだかについて報告することになります。わたしたちが永遠のために毎日の決断を賢明に選択できるよう,イエス・キリストの神聖な御名により心からお祈りします,アーメン

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル3:1
そこで、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを、思いみるべきである。



「預言者,聖見者,啓示者」2004年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
そのようなわけで,あらゆるときに,特に逆境や危険のときに,子供のように当惑し,方向を見失い,幾分恐れを感じるときに,人間のよこしまな行いや悪魔の策略により,足もとをすくわれ,道をそれそうになるときに,教会の使徒と預言者という土台が祝福となります。現代のような時代のために,大管長会と十二使徒定員会は「預言者,聖見者,啓示者」の責任を神から授かり,皆さんから支持されています。特に,大管長は最高位の預言者,聖見者,啓示者であり,先任使徒であり,教会に対する啓示と管理の鍵をすべて行使する権能を授けられた唯一の人として支持されています。新約聖書の時代も,モルモン書の時代も,現代も,これらの役員は教会の土台となって隅のかしら石の周りに立ち,隅のかしら石から力を受けます。かしら石とは「神の御子でありキリストである贖い主の岩」ヒラマン5:12 のことです。パウロはそのかしら石のことを偉大な「使徒であり,わたしたちが告白する大祭司」(欽定訳ヘブル3:1から和訳)と言いました。キリストを土台とするなら,いつも,「悪魔が大風を,まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも,まことに悪魔の雹と大嵐があなたたちを打つときにも」守りが得られます。今体験している,またこの先ほとんどいつも体験するであろう危険の中にあっても,この世の嵐はわたしたちを滅ぼすことはできません。「なぜならば,〔わたし〕たちは堅固な基であるその岩の上に建てられており,人がその上に基を築くならば,倒れることなどあり得ないから」ヒラマン5:12 です。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル2:18
主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。


「救い主はわたしたちのために何をしてくださったのでしょうか」2021年4月、ダリン・H・オークス、大管長会
最後に,モルモン書が教えているように,イエス・キリストは贖罪の過程で「あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられ〔ました〕。これは,神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するため〔でした〕。」アルマ7:11

救い主はなぜこの世の「あらゆる」試練を受けられたのでしょうか。アルマはこう説明しています。「また神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。」アルマ7:12

救い主は,わたしたちの試練や苦闘,心痛,苦痛を感じ,知っておられます。贖罪の一部として,それらをすべて進んで経験されたからです。ほかの聖句もこの真理を支持しています。新約聖書はこう宣言しています。「主ご自身,試錬を受けて苦しまれたからこそ,試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」(へブル2:18) イザヤはこう教えています。「恐れてはならない,わたしはあなたと共にいる。……わたしはあなたを強くし,あなたを助け……る。」イザヤ41:10何であれ死すべき状態の弱さに苦しんでいるすべての人は,救い主がこの種の苦痛を経験し,贖罪を通じて,それに耐える強さを与えてくださることを忘れてはなりません。