「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -318ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル2:18
主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。


「イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者」2021年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
悔い改めの賜物は,御自身の子供たちに対する神の思いやりの表れであり,わたしたちが犯す罪の克服を助ける比類なき神の力の表れでもあります。また,わたしたちの現世における弱さやもろさに対する,愛に満ちた御父の忍耐と寛容をも示しています。わたしたちの愛する預言者ラッセル・M・ネルソン大管長は,この賜物は「幸福と心の平安を得る鍵」であると述べました。(ラッセル・M・ネルソン「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月;2ニーファイ9:23,モーサヤ4:6.も参照)


愛する友人の皆さん,罪を真心から悔い改めるときに,2ニーファイ10:24モーサヤ5:1-2参照)キリストの贖いの犠牲がわたしたちの生活に完全な効力を及ぼすことができることを証します。モーサヤ26:293ニーファイ9:20,22モロナイ6:8参照)わたしたちは罪の縄目から解き放たれ,地上の生活で喜びを見いだし,永遠の救いにあずかる資格を得るのです。永遠の救いは,イエス・キリストを信じて主のもとに来るすべての人のために,世の初めから備えられていました。モーサヤ2:41教義と聖約66:1275:593:1参照)

この壮大な救いの賜物をもたらされただけでなく,救い主は,わたしたちが最近経験したパンデミックのような状況を含め,この世で苦痛や誘惑,弱さに直面するときに,安らぎと慰めをも与えてくださいます。キリストは,わたしたちがこの世で経験する逆境を常に知っておられると確かに言うことができます。わたしたちが直面する情緒的,霊的な試練だけでなく,苦しみや苦悩,肉体的な痛みも理解しておられます。主の心は憐れみで満たされ,いつでもわたしたちを助ける備えができておられます。肉においてわたしたちの弱さやもろさから来る痛みを身に受け,個人的に経験されたからです。へブル2:184:15アルマ7:11-13教義と聖約62:1参照)

主は柔和で謙遜な心を持ち,万物の下に身を落とし,人々から侮られ,拒まれ,屈辱を受け,わたしたちの背きと罪悪のために傷を負われました。全人類のためにこれらの苦しみを受け,世の罪を御自身で負い,イザヤ53:3-5アルマ7:11-13教義と聖約88:6参照)それにより究極の霊的な介護者になられたのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル1:3
御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。



「神会と救いの計画」2017年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
すべては父なる神から始まります。御父については分からないことが比較的多いですが,わたしたちの得ている知識から,御父が最高の位にあられることと,御父とわたしたちの関係,救いの計画と天地創造とその後に続くほかのあらゆることを監督なさる御父の役割を明確に理解することができます。

ブルース・R・マッコンキー長老は亡くなる直前に次のように書いています。「言葉の持つ究極かつ最終的な意味で,唯一まことの生ける神がおられます。この御方は御父であり,全能のエロヒム,至高者,全宇宙の創造者にして統治者であられます。」(Bruce R. McConkie, A New Witness for the Articles of Faith (1985), 51.)この御方はイエス・キリストの神であり御父であり,同じくすべての人の神であり御父であられます。デビッド・O・マッケイ大管長はこう教えています。「イエス・キリストが最初に唱えられた第一の根本となる真理はこれです。すなわち,万物の後ろに,上に,すべてを治める父なる神,天地の主がおられるということです。」(David O. McKay, in Conference Report, Oct. 1935, 100.)

父なる神の属性についてわたしたちが知っている事柄のほとんどは,御父の独り子であるイエス・キリストの務めと教えから学ぶことができます。ジェフリー・R・ホランド長老が教えているように,イエスの務めの最も重要な目的の一つは,「永遠の父なる神とはどのような御方なのか」を人に示し,「……御自分の父親である天の御父の本質を明らかにし,御父の本質を人が自分で理解できるよう」にすることでした。(ジェフリー・R・ホランド「偉大な神の性質」2003年10月)聖書には,イエスは御父の「本質の真の姿」へブル1:3であられるという使徒の証がありますが,これは,「わたしを見た者は,父を見たのである」というイエス御自身の教えに説明を加えたものにすぎませんヨハネ14:9

父なる神は,わたしたちの霊の父であられます。わたしたちは御父の子供です。御父はわたしたちを愛し,すべてのことをわたしたちの永遠の幸せのために行われます。御父は救いの計画を作られた御方であり,御父の力によって,その子供たちの究極の栄光をもたらす計画は目的が成し遂げられます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テモテ4:14
長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。



「きょう,選びなさい」2004年10月、トーマス・S・モンソン、大管長会
ルイス・キャロルの名作『不思議の国のアリス』の主人公のように,優柔不断に陥らないようにしましょう。アリスは分かれ道に差しかかりました。2本の道が正反対の方向に続いていました。アリスはチェシャ猫に「わたしはどっちの道を行けばいいの」と尋ねました。

猫は答えました。「それはおまえ次第だよ。どっちへ行きたいか分からなければ,どっちの道へ行ったって大した違いはないさ。」(ルイス・キャロル,Alice’s Adventuresin Wonderland(1992年),76から翻案)

アリスと違って,わたしたちは皆,自分が行きたい所を知っています。ですからどちらの道を行くかが大切なのです。この世で歩む道は,確かに,次の世で歩む道に通じているからです。

わたしたちは皆,神の息子であり娘であること,また信仰と勇気を与えられ,祈りによって導かれることを忘れないでください。永遠の行く末は,わたしたちの前にあります。使徒パウロがテモテに語った言葉は,わたしたちに向けられたものでもあるのです。「あなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を,軽視してはならない。」「テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。」1テモテ4:146:20

時としてわたしたちは「自滅」という敵に,思うままに操られることがあります。この敵は希望をくじき,夢を閉じ込め,未来像を曇らせ,人生を台なしにするのです。敵は耳もとでこうささやきます。「君にはできないさ。」「まだ若すぎるもの。」「この年ではもうだめさ。」「あなたは取るに足りない存在だ。」こんなとき,自分が神の形に創造されたことを思い出してください。この真実を思い出すことで,強さと力がみなぎるのを感じるでしょう。