「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -309ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ペテロ1:3
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、


「希望という無限の力」2008年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
言語は複雑で,希望という一つの言葉にも,形や強さに幾らか幅があるものです。例えば,幼い子供はおもちゃの電話を望み,若い人は大切な友人が電話をかけてくるよう望んでいるかもしれません。大人は,いっそのこと電話は鳴らない方がいいと望んでいるかもしれません。

今日は,そうしたささいな事柄をはるかに超越する希望,つまりイスラエルの望みエレミヤ17:13参照),人類の大いなる希望,すなわちわたしたちの贖い主,イエス・キリストを中心とした希望について話します。

希望は知識ではありません。ローマ8:24参照)希望は,主がわたしたちへの約束を果たしてくださるという,変わることのない信頼です。神の律法と預言者の言葉に従って今行動すれば,望んでいる祝福を将来受けられるという確信です。教義と聖約59:23参照) 祈りはこたえられると信じて待ち望むことです。希望は,自信,楽観,熱意,粘り強く忍耐するといった特質に表れます。

福音の言葉で言えば,この希望は堅固であり,揺らぐことなく,積極的です。古代の預言者は「確固とした望み」アルマ34:41や「生ける望み」1ペテロ1:3について語りました。これは,善い行いを通して神をあがめることができるという希望です。希望があれば,喜びや幸福が訪れます。詩篇146:5参照)希望があれば,わたしたちは「忍耐し,……〔わたしたちの〕苦難に耐える」アルマ34:41

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヤコブ1:27
父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。


「教会の必要性」2021年10月、ダリン・H・オークス、大管長会
中には,教会の集会に出席しても助けにならないと言う人がいます。また,「今日は何も学ぶことがなかった」,「だれも親しくしてくれなかった」,あるいは「嫌な思いをした」と言う人もいます。個人的な落胆により,キリストの教義から決して離れてはなりません。主は,仕えられるより,仕える者となるように教えられました。ヤコブの手紙1:27参照)このことを心に留め,教会に出席するときにどこに目を向けるのかについて,ある会員が話したことを聞いてください。

「何年も前に,わたしは教会へ行くときの態度を改めました。自分のために行くのでなく,人のことを考えるようにしたのです。独りで座っている人にあいさつし,訪問者を歓迎し,……割り当てを進んで行うように努めました。……

つまり,毎週受け身ではなく,積極的に人々の生活に良い影響を与えることを目的に,教会へ出席するようになったのです。」(マーク・スコーセンからダリン・H・オークスへの手紙,2009年2月15日付)

スペンサー・W・キンボール大管長はこう教えています。「わたしたちが安息日の集会に行くのは楽しむためではなく,単に教えを受けるためだけでもありません。主を礼拝しに行くのです。それは個人的な責任であり,……もし礼拝行事が皆さんにとって満足のいかないものであるならば,ほかならぬ皆さんに,欠けているところがあるのです。だれも皆さんに代わって礼拝することはできません。自分自身で主を待ち望まなければならないのです。」(『歴代大管長の教え―スペンサー・W・キンボール』173-174)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヤコブ1:22
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。


「奉仕する意志とふさわしさ」2012年4月、トーマス・S・モンソン大管長
兄弟の皆さん,世の人々はわたしたちの助けを必要としています。わたしたちはすべきことをすべて行っているでしょうか。ジョン・テーラー大管長の次の言葉を覚えているでしょうか。「召しを尊んで大いなるものとしないならば,神は,皆さんが義務を果たしていたら救えたはずの人々への責任を皆さんに帰せられます。」(『歴代大管長の教え――ジョン・テーラー』164)足を踏み外さないよう助けてあげられる人がいます。手を握り,励まし,鼓舞し,救うべき人がいます。永遠の祝福が皆さんを待っています。神権の奉仕という舞台の観客ではなく出演者となるのは皆さんの特権です。ヤコブの手紙に書かれた,心を揺り動かす勧告に耳を傾けましょう。「御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて,ただ聞くだけの者となってはいけない。」ヤコブの手紙1:22

わたしたちの義務を学び,深く考えましょう。奉仕する意志とふさわしさを身に付けましょう。義務を果たすときに,主の模範に従いましょう。皆さんもわたしもイエスの歩まれた道を歩むとき,主が,ベツレヘムで生まれた子,大工の息子,かつて生を受けた最も偉大な教師以上の御方であられることが分かるでしょう。主は神の御子であり,わたしたちの救い主,贖い主であられることが分かるようになるでしょう。主は義務の召しを受けたとき,このようにお答えになりました。「父よ,あなたの御心が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように。」モーセ4:2わたしたち一人一人がそのように行えますように,主イエス・キリストの聖なる御名により祈ります,アーメン