1ペテロ1:3
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
「希望という無限の力」2008年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
言語は複雑で,希望という一つの言葉にも,形や強さに幾らか幅があるものです。例えば,幼い子供はおもちゃの電話を望み,若い人は大切な友人が電話をかけてくるよう望んでいるかもしれません。大人は,いっそのこと電話は鳴らない方がいいと望んでいるかもしれません。
今日は,そうしたささいな事柄をはるかに超越する希望,つまりイスラエルの望み(エレミヤ17:13参照),人類の大いなる希望,すなわちわたしたちの贖い主,イエス・キリストを中心とした希望について話します。
希望は知識ではありません。(ローマ8:24参照)希望は,主がわたしたちへの約束を果たしてくださるという,変わることのない信頼です。神の律法と預言者の言葉に従って今行動すれば,望んでいる祝福を将来受けられるという確信です。(教義と聖約59:23参照) 祈りはこたえられると信じて待ち望むことです。希望は,自信,楽観,熱意,粘り強く忍耐するといった特質に表れます。
福音の言葉で言えば,この希望は堅固であり,揺らぐことなく,積極的です。古代の預言者は「確固とした望み」(アルマ34:41)や「生ける望み」(1ペテロ1:3)について語りました。これは,善い行いを通して神をあがめることができるという希望です。希望があれば,喜びや幸福が訪れます。(詩篇146:5参照)希望があれば,わたしたちは「忍耐し,……〔わたしたちの〕苦難に耐える」(アルマ34:41)
