「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -304ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ヨハネ2:3-6
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。


「わたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」2023年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
使徒パウロは,主を受け入れた信者に対し「〔主〕にあって歩きなさい」コロサイ2:6と諭しました。

救い主にあってともに歩むことは,弟子としての重要な二つの特質を明確にします:(1)神の戒めに従うことと,(2)わたしたちを御父と御子につなぐ神聖な聖約を思い起こし,尊ぶことです。

ヨハネはこのように言っています。

「もし,わたしたちが彼の戒めを守るならば,それによって彼を知っていることを悟るのである。

『彼を知っている』と言いながら,その戒めを守らない者は,偽り者であって,真理はその人のうちにない。

しかし,彼の御言を守る者があれば,その人のうちに,神の愛が真に全うされるのである。それによって,わたしたちが彼にあることを知るのである。

『彼におる』と言う者は,彼が歩かれたように,その人自身も歩くべきである。」1ヨハネ2:3-6

イエスはわたしたち一人一人に,「わたしに従ってきなさい」,ルカ18:22「わたしとともに歩みなさい」モーセ6:34とおっしゃっています。

信仰を持って力強く進み,主の「御霊の柔和な道」を歩むならば,教義と聖約19:23参照)力,導き,守り,そして平安を受け,祝福されることを証します。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ヨハネ2:1
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。


「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
ほかにも主は,得るところが大きい祈りをなさいました。特に執り成しの祈りがそうです。執り成しの祈りと名付けられたのは,主が弟子たちのために,天の御父に執り成しをなさったからです。ヨハネ伝第17章から引用しますので,世の救い主がひざまずいて祈られる御姿を思い描いてください。

「これらのことを語り終えると,イエスは天を見あげて言われた,『父よ,……あなたの子があなたの栄光をあらわすように,子の栄光をあらわして下さい。

わたしは,わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げ……ました。

なぜなら,わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え,そして彼らはそれを受け,わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り,また,あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。

わたしは彼らのためにお願いします。』」ヨハネ17:1,4,8-9

主がなさったこの祈りから,御父に対するわたしたちの仲保者であり弁護者としての責任を,主がいかに強く感じておられたかが分かります。1テモテ2:51 ヨハネ2:1教義と聖約29:545:3110:4参照)わたしたちはそれと同じように強く,主の戒めを守り,最後まで堪え忍ぶ責任を感じるべきです。教義と聖約14:7参照)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ヨハネ2:1
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。


「きょう,選びなさい」2018年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
イエス・キリストが与えられたため,「わたしたちには御父に対する弁護者……がおられ〔ます。〕」(ジョセフ・スミス訳1ヨハネ2:1。1ヨハネ2:1も参照)贖いの犠牲となられた後,イエスは,「人の子らに対して持っておられる御自分の憐れみの権利を御父に求めるために,天に昇って」行かれました。そして,憐れみの権利を求めて,「人の子らを弁護してくださる」のです。モロナイ7:27,28

キリストがわたしたちのことを御父に弁護してくださるのは,救いの計画に反する行為ではありません。御自分の御心が御父の御心にのみ込まれるに任せられたイエス・キリストは,モーサヤ15:7参照)最初から御父が望んでおられたこと以外を擁護しようとはなさらないのです。天の御父は疑いなく,わたしたちの成功を応援し,認めてくださいます。

キリストが弁護してくださることを考えると,キリストがわたしたちの罪の代価を払ってくださっており,神の憐れみを受けられない人がいないということが,少なくともある程度,分かってきます。1ヨハネ2:2参照)イエス・キリストを信じ,悔い改め,バプテスマを受け,最後まで堪え忍ぶ人々,すなわち,和解に至る道を歩む人々を,2コリント5:16-21コロサイ1:19-232ニーファイ 10:24参照)救い主は赦し,癒し,弁護してくださいます。イエス・キリストは,わたしたちの助け主,慰め主,執り成す御方であられ,御父との和解のために証言し,保証してくださいます。( 1ヨハネ2:1The New Strong’s Expanded Exhaustive Concordance of the Bible [1984], Greek dictionary section, 55; 2ニーファイ10:23-25教義と聖約45:3-5参照)

これとはまったく対照的に,ルシフェルは訴える者,あるいは追い詰める者です。黙示者ヨハネは,ルシフェルが最終的に敗北する様子を描いています。「その時わたしは,大きな声が天でこう言うのを聞いた,『今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。』」なぜでしょうか。その理由はこうです。「われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された。兄弟たちは,小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって,彼にうち勝ち,死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」黙示12:10-11

ルシフェルはこの「訴える者」です。彼は前世でわたしたちに反対し,現世でも引き続きわたしたちを責め,引きずり落そうとしています。わたしたちに無窮の苦悩を味わわせたいと思っています。おまえはふさわしくないと告げる者,あまりいい人間ではないと告げる者,過ちから立ち直るすべはないと告げる者です。わたしたちがうなだれているときに蹴飛ばしてくる,極め付きの乱暴者です。

ルシフェルは,子供に歩くことを教えても,その子がつまずくと怒鳴り散らして罰し,歩こうとするのをやめるように告げます。ルシフェルの方法は,最終的にそして常に,落胆と絶望をもたらします。この偽りの父は,偽りの究極の喧伝者であり,エテル8:25参照)ずる賢く働きかけて人々を惑わし,悩ませます。「悪魔は,すべての人が自分のように惨めになることを求めているから〔です〕。」2ニーファイ2:272ニーファイ2:6-8,16,26も参照)

キリストは,子供に歩くことを教えると,その子がつまずいたら起き上がれるよう助け,歩み続けるよう励まされます。キリストは,助け主であり,慰め主であられます。キリストの方法は,最終的にそして常に,喜びと希望をもたらします。