「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -296ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ2:7
初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。


「宿屋に居場所を」2021年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
別の日の午後,わたしは父と一緒にパリ近郊にあるシャルトル大聖堂を訪れました。大聖堂に関する世界的権威のマルコム・ミラー(マルコム・ミラーは,シャルトル大聖堂と世界各地で60年以上にわたり説き教えてきました。)は,シャルトルのステンドグラスの3組の窓を指して,これは一つの物語になっていると言いました。

最初の窓には,エデンの園を出て行くアダムとエバが,

2番目には良いサマリヤ人のたとえが,

そして3番目には,主の再臨が描かれています。

この3枚一組のステンドグラスで,わたしたちの永遠の旅路を説明できます。それは,主の宿屋に居場所を用意して,すべての人を迎えるように,わたしたちに勧めているのです。ルカ10:34参照;比較としてルカ2:7参照)

 

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録12:10-11
その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。


「きょう,選びなさい」2018年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
キリストが弁護してくださることを考えると,キリストがわたしたちの罪の代価を払ってくださっており,神の憐れみを受けられない人がいないということが,少なくともある程度,分かってきます。1ヨハネ2:2参照)イエス・キリストを信じ,悔い改め,バプテスマを受け,最後まで堪え忍ぶ人々,すなわち,和解に至る道を歩む人々を,2コリント5:16-21コロサイ1:19-232ニーファイ 10:24参照)救い主は赦し,癒し,弁護してくださいます。イエス・キリストは,わたしたちの助け主,慰め主,執り成す御方であられ,御父との和解のために証言し,保証してくださいます。(弁護者に相当するギリシャ語(paraklētŏs)には,執り成す者,助け手,慰める者という意味がある ;1ヨハネ2:1

これとはまったく対照的に,ルシフェルは訴える者,あるいは追い詰める者です。黙示者ヨハネは,ルシフェルが最終的に敗北する様子を描いています。「その時わたしは,大きな声が天でこう言うのを聞いた,『今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。』」なぜでしょうか。その理由はこうです。「われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された。兄弟たちは,小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって,彼にうち勝ち,死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」黙示12:10-11

ルシフェルはこの「訴える者」です。彼は前世でわたしたちに反対し,現世でも引き続きわたしたちを責め,引きずり落そうとしています。わたしたちに無窮の苦悩を味わわせたいと思っています。おまえはふさわしくないと告げる者,あまりいい人間ではないと告げる者,過ちから立ち直るすべはないと告げる者です。わたしたちがうなだれているときに蹴飛ばしてくる,極め付きの乱暴者です。

ルシフェルは,子供に歩くことを教えても,その子がつまずくと怒鳴り散らして罰し,歩こうとするのをやめるように告げます。ルシフェルの方法は,最終的にそして常に,落胆と絶望をもたらします。この偽りの父は,偽りの究極の喧伝者であり,エテル8:25参照)ずる賢く働きかけて人々を惑わし,悩ませます。「悪魔は,すべての人が自分のように惨めになることを求めているから〔です〕。」2ニーファイ2:272ニーファイ2:6-8,16,26も参照)

キリストは,子供に歩くことを教えると,その子がつまずいたら起き上がれるよう助け,歩み続けるよう励まされます。キリストは,助け主であり,慰め主であられます。キリストの方法は,最終的にそして常に,喜びと希望をもたらします。

 

 

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録7:17
御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。


「後悔と決意について」(英文)2012年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
わたしたちはいつの日か、避けることのできない一歩を踏んで、この世から来世に行きます。いつの日か自分の人生を振り返り、もっと良くなれたのではないか、もっと良い決断ができたのではないか、もっと賢く時間を使えたのではないか、と考えるでしょう。

人生の最大の後悔を避けるためには、今日、賢明な決意をすることです。ですから、次のことを行いましょう。

• 愛する人ともっと時間を過ごそうと決意する。
• 神が望んでおられるような人になるために、もっと熱心に努力しようと決意する。
• どんな状況にあっても、幸福を見いだそうと決心する。

わたしたちが明日抱くかも知れない、最も深く後悔することの多くは、今日救い主に従うことによって防ぐことができることを証します。罪や間違いを犯したなら、後悔するような選択をしてしまったなら、キリストの贖いという貴い賜物があり、それによってわたしたちは赦しを得られます。時間をさかのぼって過去を変えることはできませんが、悔い改めることはできます。救い主はわたしたちの目から後悔の涙をぬぐい取ること、黙示7:17 参照)そしてわたしたちの罪の重荷を取り除くことがおできになるのです。マタイ11:28-30 参照) 主の贖いにより、わたしたちは過去に区切りをつけ、清い手と清い心を持ち、詩篇24:4 参照)もっと良く行おう、そして特に、もっと良くなろうという決意を胸に前進することができるのです。

そうです。この人生は瞬く間に過ぎ去ります。あっという間に毎日が色あせ、死の影におびえることもあります。しかし、わたしたちの霊は生き続け、いつの日か復活した肉体と再び合わされて完全な栄光を受けます。憐れみに満ちたキリストのおかげで、わたしたちは皆再び、そして永遠に生きるのです。救い主であり、贖い主である御方のおかげで、わたしたちはいつの日か「死のとげはキリストにのみ込まれてしまう」という言葉の意味を真に理解し、喜ぶことでしょう。モーサヤ16:81コリント15:54 も参照)

神の息子・娘としての神聖な使命を果たす道は永遠に続きます。愛する兄弟姉妹、親愛なる友人の皆さん、その永遠の道を今日歩み始めなければなりません。一日たりとも無駄にすることはできないのです。死を目前にするまで、真に生きることを学ぶのを待つことがないように祈ります。イエス・キリストの聖なるみ名により、アーメン。