黙示録12:10-11
その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
「きょう,選びなさい」2018年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
キリストが弁護してくださることを考えると,キリストがわたしたちの罪の代価を払ってくださっており,神の憐れみを受けられない人がいないということが,少なくともある程度,分かってきます。(1ヨハネ2:2参照)イエス・キリストを信じ,悔い改め,バプテスマを受け,最後まで堪え忍ぶ人々,すなわち,和解に至る道を歩む人々を,(2コリント5:16-21;コロサイ1:19-23;2ニーファイ 10:24参照)救い主は赦し,癒し,弁護してくださいます。イエス・キリストは,わたしたちの助け主,慰め主,執り成す御方であられ,御父との和解のために証言し,保証してくださいます。(弁護者に相当するギリシャ語(paraklētŏs)には,執り成す者,助け手,慰める者という意味がある ;1ヨハネ2:1)
これとはまったく対照的に,ルシフェルは訴える者,あるいは追い詰める者です。黙示者ヨハネは,ルシフェルが最終的に敗北する様子を描いています。「その時わたしは,大きな声が天でこう言うのを聞いた,『今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。』」なぜでしょうか。その理由はこうです。「われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された。兄弟たちは,小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって,彼にうち勝ち,死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」(黙示12:10-11)
ルシフェルはこの「訴える者」です。彼は前世でわたしたちに反対し,現世でも引き続きわたしたちを責め,引きずり落そうとしています。わたしたちに無窮の苦悩を味わわせたいと思っています。おまえはふさわしくないと告げる者,あまりいい人間ではないと告げる者,過ちから立ち直るすべはないと告げる者です。わたしたちがうなだれているときに蹴飛ばしてくる,極め付きの乱暴者です。
ルシフェルは,子供に歩くことを教えても,その子がつまずくと怒鳴り散らして罰し,歩こうとするのをやめるように告げます。ルシフェルの方法は,最終的にそして常に,落胆と絶望をもたらします。この偽りの父は,偽りの究極の喧伝者であり,(エテル8:25参照)ずる賢く働きかけて人々を惑わし,悩ませます。「悪魔は,すべての人が自分のように惨めになることを求めているから〔です〕。」(2ニーファイ2:27。2ニーファイ2:6-8,16,26も参照)
キリストは,子供に歩くことを教えると,その子がつまずいたら起き上がれるよう助け,歩み続けるよう励まされます。キリストは,助け主であり,慰め主であられます。キリストの方法は,最終的にそして常に,喜びと希望をもたらします。
