黙示録7:17
御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。
「後悔と決意について」(英文)2012年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
わたしたちはいつの日か、避けることのできない一歩を踏んで、この世から来世に行きます。いつの日か自分の人生を振り返り、もっと良くなれたのではないか、もっと良い決断ができたのではないか、もっと賢く時間を使えたのではないか、と考えるでしょう。
人生の最大の後悔を避けるためには、今日、賢明な決意をすることです。ですから、次のことを行いましょう。
• 愛する人ともっと時間を過ごそうと決意する。
• 神が望んでおられるような人になるために、もっと熱心に努力しようと決意する。
• どんな状況にあっても、幸福を見いだそうと決心する。
わたしたちが明日抱くかも知れない、最も深く後悔することの多くは、今日救い主に従うことによって防ぐことができることを証します。罪や間違いを犯したなら、後悔するような選択をしてしまったなら、キリストの贖いという貴い賜物があり、それによってわたしたちは赦しを得られます。時間をさかのぼって過去を変えることはできませんが、悔い改めることはできます。救い主はわたしたちの目から後悔の涙をぬぐい取ること、(黙示7:17 参照)そしてわたしたちの罪の重荷を取り除くことがおできになるのです。(マタイ11:28-30 参照) 主の贖いにより、わたしたちは過去に区切りをつけ、清い手と清い心を持ち、(詩篇24:4 参照)もっと良く行おう、そして特に、もっと良くなろうという決意を胸に前進することができるのです。
そうです。この人生は瞬く間に過ぎ去ります。あっという間に毎日が色あせ、死の影におびえることもあります。しかし、わたしたちの霊は生き続け、いつの日か復活した肉体と再び合わされて完全な栄光を受けます。憐れみに満ちたキリストのおかげで、わたしたちは皆再び、そして永遠に生きるのです。救い主であり、贖い主である御方のおかげで、わたしたちはいつの日か「死のとげはキリストにのみ込まれてしまう」という言葉の意味を真に理解し、喜ぶことでしょう。(モーサヤ16:8 。1コリント15:54 も参照)
神の息子・娘としての神聖な使命を果たす道は永遠に続きます。愛する兄弟姉妹、親愛なる友人の皆さん、その永遠の道を今日歩み始めなければなりません。一日たりとも無駄にすることはできないのです。死を目前にするまで、真に生きることを学ぶのを待つことがないように祈ります。イエス・キリストの聖なるみ名により、アーメン。
