「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -295ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ2:40
幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。


「義の模範」2008年4月、トーマス・S・モンソン大管長
霊感を受けたビショップやアドバイザー,教師の影響力は,人の権力や世の富とは何の関係もありません。通常,最も影響力のある指導者とは,真理に献身することで人の心を燃やし,務めに従順であることが真の男らしさであることを示し,いつものありきたりな出来事をすばらしい機会に一変させることで,わたしたちがそうありたいと願う人物像を示してくれるのです。

忘れてはならないのが,わたしたちの第一の模範である,救い主イエス・キリストです。その降誕は預言者たちによって預言され,天使は主の地上での務めを声高らかに宣言しました。イエスは「ますます成長して強くなり,知恵に満ち,そして神の恵みがその上にあ〔りました〕。」ルカ2:40

ヨルダンの名で知られる川でヨハネからバプテスマを受けられた主は,人々に対する務めを正式に始められました。サタンの誘惑には背を向け,御父が定められた務めには顔を向け,心を傾け,命をささげられました。何という罪のない,無私の,気高い,神聖な生涯だったことでしょう。イエスは,働き,愛し,仕え,そして証されました。わたしたちが倣うべき模範として,これ以上すばらしいものがあるでしょうか。今から,まさに今晩から,その模範に倣いましょう。過去の自分は,敗北感と落胆,疑い,不信心とともに永遠に捨て去りましょう。そうすれば新しい命とともに,信仰,希望,勇気,喜びが得られるのです。大きすぎる務めも,重すぎる責任もなくなります。どんな義務も重荷ではなくなります。何であろうと,できないことはなくなるのです。

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ2:19
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。


「与えられたもので満足する」2000年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
自分自身について、また将来の出来事について驚くべきことを耳にしたマリヤは、「これらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらして」いましたルカ2:19。満足はしばしば思索の後に来ます。

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ2:14
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。


「個人の平安―義の報い」2013年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
こうした出来事について思い巡らすにつけ,世界全般の平和と個人の平安との間に見られる教義上の違いに深い感銘を受けます。

救い主がお生まれになったとき,おびただしい天の軍勢が神を賛美し,こう宣言しました。「いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では,み心にかなう人々に平和があるように。」ルカ2:14

……

世界中の善良な人々の義にかなった願いは,世に平和がもたらされることです。これまでもそうでしたし,これからも常に変わらないでしょう。この願いがかなえられるという望みを,わたしたちは決して捨ててはなりません。しかし,ジョセフ・F・スミス大管長はこう教えました。「人類が神の真理と神の言葉を受け入れ,……神の力と権能を認めるまで,世に平和と愛の精神はもたらされないのです。」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・F・スミス』400参照)

わたしたちは全世界の平和を心から望み,祈り求めています。しかし,義にかなった人々に約束されているそのような平和を実現する役割は,わたしたち一人一人に,そして個々の家族にあります。この平和は,救い主の使命と贖いの犠牲によって約束された賜物なのです。