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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17:47

またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」。

 

「七たびを七十倍するまで」2018年4月、リン・G・ロビンズ、七十人会長会

ニーファイは揺るがぬ信仰を持っていたため、失敗を重ねながらも最後には真鍮の版を手に入れました。モーセは10回試みて、やっとイスラエル人とともにエジプトを脱出することができました。

 

ニーファイもモーセも、主の用向きを受けていたのに、なぜ主は手を差し伸べて、最初の試みで成功するよう助けてくださらなかったのかと、わたしたちは疑問に思うことがあります。なぜ主は彼らが、そしてわたしたちが、成功しようと努力する際にもがき、失敗することを許されるのでしょうか。

 

この質問について、たくさんある答えの中から幾つかを挙げます。

 

・第1に、主は、「これらのことはすべて、〔わたしたち〕に経験を与え、〔わたしたち〕の益となる」ことを御存じだからです(教義と聖約122:7;へブル5:8)。

 

・第2に、「善を尊ぶことを知るために、苦さを味わう」ことができるようにするためです(モーセ6:55)。

 

・第3に、「この戦いは主の戦いであっ〔て〕」(サムエル上17:47。1ニーファイ3:29も参照)、主の恵みによってのみ、わたしたちは主の業を成し遂げて主のような者になることができるということを証明するためです(モルモン書ヤコブ4:7参照)。

 

・第4に、多くのキリストのような特質を育み、磨くためです。この特質は、反対のもの(2ニーファイ2:11参照)と苦難の炉によってしか「精錬」することができません。

 

ですから、つまずきの石や不完全なところが至る所にある人生で、やり直す機会があることに、わたしたちは皆感謝しています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17:34-35

しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、

わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。

 

「汝の信ずること自ら強くなりて」(英文)1994年10月、リチャード・C・エッジリー、管理監督会

ダビデがゴリアテと戦うために出向いた時、サウルはダビデに、まだ年少なのだから、巨人ゴリアテとまともに戦うことなど無理だ、と諭しました。しかしダビデは答えました。「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。」(サムエル上17:34-35)ダビデは以前にフリースローを成功させていて、ゴールがとても大きく見えたのです。

 

ジョセフ・スミスが聖なる森に入った時も、モルモン書の翻訳を始めた時も、そしてわずか6人で教会を組織した時も、彼の自信は主にあって強かったのです。

 

救い主は、言葉に言葉を加え、戒めに戒めを加えて教えることについて語られました。これは、召しを全力を尽くして遂行するために私たちが備えをする方法でもあります。つまり、行いに行いを重ねていくのです。よい行いを続けるなら、ゴールを大きく感じることができ、さらによく召しを果たすための備えとなります。若いアロン神権者の皆さんが、ふさわしく敬虔な態度で聖餐の儀式に携わるなら、バスケットのゴールが少し大きく見えるようになります。そして主に対する確信が増し、正義を行う力も大きくなるのです。いわゆる小さな誘惑をはねのけてきた人は、大きな試しに遭ってもサタンに打ち勝つことが容易になります。聖典の勉強や祈りを通して、天父と救い主との関係を築いてきた人は、自分のゴールを大きいと感じ、自信も強まります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17:26

ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。

 

「『生ける』教会員」(英文)1987年4月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会

生ける教会の会員として、私たちは生ける神を信じています。ヨシュアはヨルダン川を渡るに先立ち、イスラエルの民を集めてこう言いました。「あなたがたはここに近づいて、あなたがたの神、主の言葉を聞きなさい。……生ける神があなたがたのうちにおいでにな〔ることを〕……あなたがたは知るであろう。」(ヨシュア3:9-10)少年ダビデも、ゴリアテに戦いを挑まれたとき、勇敢にもかたわらにいる人々に次のように言いました。「この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか。」(サムエル上17:26)エレミヤも同じように、主を真の神、生ける神と呼んでいます(エレミヤ10:10参照)。

 

私たちは、この教会が生ける真の神が建てられた真実の、生ける教会であると強く信じています。しかし、もう一つ考えなければならないことがあります。「自分は不動の決意をもって献身的に働く、真の生ける教会員だろうか。」

 

皆さんが固く立ち、真の生ける教会員となり、約束の恵みを受けられますように。その約束の恵みとは、教義と聖約の中に、「これらの者は、シオンの山に、また生ける神のいと聖き神聖なる都に来りぬ」(教義と聖約76:66)と書かれている人々の中に数え入れられることです。これらをイエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)