「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -30ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エレミヤ31:33

しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

 

「なぜ聖約の道なのか」2021年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

聖約を交わしているわたしたちは,心から福音の原則に従っています。わたしのよく知っている夫婦の中に,結婚当初奥様が教会に熱心ではなく,ご主人は教会員でない夫婦がいました。仮にこの二人をメアリーとジョンと呼びましょう。子供が生まれると,メアリーは子供たちを聖文にあるように「主の薫陶と訓戒とによって」育てる必要があると,強く感じました。エペソ6:4エノス1:1も参照)ジョンは協力的でした。メアリーは継続的に子供に福音を教えるために,幾つか大切なものを犠牲にして家にいられるようにしました。そして,教会の礼拝と活動から家族が最大限祝福を受けられるようにしました。メアリーとジョンは模範的な親になり,子供たち(全員元気な男の子です)は信仰を育み,福音の原則と標準に従って成長していきました。

 

ジョンの両親,つまり男の子たちの祖父母は孫たちが健全な生活をして学校の成績もいいので喜んでいました。しかし,教会に反感を持っていたため,すべてはジョンとメアリーの育児能力が高いだけだと考えようとしたのです。ジョンは教会員ではありませんでしたが,そのような意見を見過ごしませんでした。両親が目にしている孫たちの成長は福音の教え,つまり教会や家庭で経験していることの成果だと力説したのです。

 

ジョン自身も,妻の愛と模範,息子たちからの勧めのおかげで,御霊の影響を受けていました。やがてジョンはバプテスマを受け,ワードの会員と友人たちに大きな喜びをもたらしました。

 

この夫婦と息子たちの人生に試練がなかったわけではありませんが,メアリーとジョンは,自分たちが受けている祝福の根源にあるのは福音の聖約だということを,心から確信していました。この夫婦は,主がエレミヤに語られた次の言葉が自分たち自身と自分の子供たちの人生の中で成就するのを見てきたのです。「わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる。」エレミヤ31:33

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

民数記21:8

そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。

 

「神に頼って生きるようにしなさい」2025年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

別の場面でアルマは、古代のイスラエルの民が火の飛ぶ蛇によって苦しんでいたときに、モーセによって掲げられた青銅の蛇の例を引用しています。民数21:5-6参照)主はモーセに、蛇の像を造り、それを竿の上に掛けるよう言われ、次の約束を添えられました。「すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう。」民数21:8アルマは、真鍮の像は、十字架に上げられるキリストの予型、つまり象徴だと説明しています。アルマ33:19参照)多くの人がそれを見て生きましたが、アルマによれば「かたくなであった」ため、ただ見るという簡単なことをせずに死んでしまった人々もいました。アルマ33:20

 

アルマはこう尋ねています。

 

「もしあなたがたが癒しを得るために、目を向けるだけでよいとしたら、あなたがたはすぐにも見ようとしないだろうか。それとも、不信仰のままで心をかたくなにし、怠けて目を向けようとしないで死ぬことを望むだろうか。

 

……あなたがたの目を向けて、神の御子を信じるようにしなさい。神の御子が将来、御自分の民を贖うために降臨されること、御子がその民の罪を贖うために苦しみを受け、死なれること、御子が死者の中からよみがえり、復活をもたらされること、終わりの裁きの日に、すべての人が各々の行いに応じて裁きを受けるために神の御子の御前に立つこと、これらのことを信じてほしい。

 

アルマ33:21-22。アルマの孫のニーファイは、救い主を証して次のように言い添えています。「また、その蛇を仰ぎ見る者が皆生きたように、悔いる霊を抱いて、信仰をもって神の御子を仰ぎ見る者は皆、生きることができ、永遠であるあの命にあずかるであろう。」(ヒラマン8:15

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

出エジプト12:3,5,21

あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。

小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。

そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。

 

「イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者」2021年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会

イエスは自ら進んで全人類の罪を引き受け,残酷にも十字架に釘で打ち付けられ,3日目に死を克服して勝利することにより,イザヤ53:7; 1ニーファイ11:21,33; 13:40; モーサヤ14:7参照)古代のイスラエルに与えられた過越の儀式にさらに神聖な意義を加えられました。出エジプト12-13章,特に出エジプト12:21,43参照)その預言を成就する際に,主は自らの体と尊い血を「大いなる最後の犠牲」としてささげられ,アルマ34:14参照)主の過越の祭に用いられる伝統的な象徴が正当なものであることを示されました。 キリストはその過程において,人間には理解できない肉体的,霊的な苦しみを経験されたのです。救い主は自らこう言われました。

 

「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い……

 

その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。

 

しかしながら,父に栄光があるように。わたしは杯を飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」教義と聖約19:16,18-19

 

キリストは,憐れみに満ちた無限の犠牲を通して,御父の御心を喜んで成し遂げられました。ヨハネ6:38-40; 3ニーファイ27:13-15参照)主は,堕落がこの世にもたらした(2ニーファイ2:22モーセ6:48参照)肉体と霊の死のとげを克服し,1コリント15:55-562ニーファイ9:6-24モーサヤ16:7-8アルマ22:14参照)永遠の救いという輝かしい可能性をわたしたちに与えてくださいました。アルマ11:40教義と聖約76:41-42参照)

 

※犠牲の小羊(出エジプト12:3,5,21参照),種入れぬパンを苦菜と一緒に食べること(出エジプト12:8,15レビ23:6民数9:11参照),犠牲の小羊の血を入口の柱とかもいに塗ること(出エジプト12:7,13,22-23参照),祭では急いで食べること(出エジプト12:11参照)など,過越には,イエス・キリストの贖罪を示す要素があります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)