「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -281ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ8:17-18
さて、わたしは、レーマンとレムエルもここに来て、その実を食べてほしいと思った。それで、二人の姿が見えはしないかと、川の源の方へ目をやった。そして二人が見えたが、二人はわたしのところに来てその実を食べようとはしなかった。


「レーマンとレムエルから得られる教訓」(英文)1999年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
悲しいことに,レーマンとレムエルには,霊的な特質がありませんでした。確かに,二人についてさらに調べることはできますが,結論は変わりません。もし何らかの点で,彼らの性格が未熟に思えるなら,それは繰り返し起こる心のむなしさのためであり,そのむなしさは「神の愛」で満たせたはずです。示現の中に惨めな光景がありました。リーハイは「レーマンとレムエルの姿が見えはしないかと」目をやりました。ついに,二人が見えましたが,彼らは「その実を食べようと」しませんでした (1ニーファイ8: 17-181ニーファイ 11:25 ;8 : 35 ; 2ニーファイ5:20も参照)。自分に負わせる罰で,これほど恐ろしく,重大なものはありません。

兄弟姉妹の皆さん,幸いにも,豊かな回復の業によって,わたしたち一人一人を含め,神の子らに対する神の計らいを理解する道が与えられました。さらに主に似た者となるために,イエスの栄えある贖いを実践することによって,わたしたちは神の愛を味わえるのです。また,貴重な聖文を自分に当てはめることによって,その大切なプロセスを速めることができます。そのようにできることを,イエス・キリストの御名により願います。 アーメン

 

 

 

Lehi’s dream, 2019 by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ8:12
そしてその木の実を食べると、わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。それでわたしは、家族にも食べてほしいと思い始めた。その実が、ほかのどんな実よりも好ましいことが分かったからである。


「イエス・キリストの福音」2008年4月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会
終わりまで堪え忍ぶことは独りでは決してできません。まず,救い主の贖いの力が必要です。清くならなければ天の御父のみもとに戻れないので,わたしたちは悔い改め続けなければなりません。あらゆる瞬間で悔い改めることが理想的ですが,聖餐を受け,バプテスマの聖約を新たにするために毎週聖餐会にも出席します。第2に,終わりまで堪え忍ぶには聖霊が必要です。聖霊はわたしたちを導くとともに聖きよめてくださいます。第3に,わたしたちは聖徒たちの中で欠かせない存在となり,福音における兄弟姉妹と仕え合わなければなりません。バプテスマによってわたしたちはキリストの体の一部になります1コリント12:11-13参照)。一人一人に役割があり,皆大切な存在ですが,成功するためには救い主にあって一つとならなければなりません。第4に,福音を人々に伝えなければなりません。たった一人でも主のみもとに導くときに受ける約束は深遠で永遠です教義と聖約18:15参照)。加えて,頻繁に福音を伝える人は,福音が心の中でさらに深く根づくようになります。5番目に,最後まで堪え忍ぶにはキリストへの信仰と希望を絶えず持ち続けなければなりません。堪え忍ぶための方法は数多くありますが,祈り,断食,聖文を読むこともその中に含まれています。これらによって狡猾な策略や敵対する者の火の矢に対して防備を固めることができます。

わたしはイエス・キリストの福音を愛しています。福音は,福音の実を食べて,その実でしか味わえない「非常に大きな喜び」1ニーファイ8:12を経験し,この世のあらゆる困難にあって最後まで堪え忍ぶ方法を定めているからです。福音はわたしたちが復活し栄光を受けた者として,天の御父のみもとに帰って住むために必要なすべての知識を与えてくれます。わたしたちが皆,永遠の命の光景を引き続き心に思い浮かべることができますように。イエス・キリストの福音という永遠の命のレシピにある手順を熱心に守ることができますように。最後まで堪え忍べますように。イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

Loveth the Lord His Sheep, Oil on canvas, 2021 by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ8:10-12、21-23
そして、一本の木が見えたが、その実は人を幸せにする好ましいものであった。 そこで、行ってその木の実を食べると、それは、今までに味わったどんな実よりもずっと甘いことが分かった。またその木の実は白く、今までに見たどんな白いものにも勝って白かった。 そしてその木の実を食べると、わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。それでわたしは、家族にも食べてほしいと思い始めた。その実が、ほかのどんな実よりも好ましいことが分かったからである。… わたしは群れ集まる無数の人々を見たが、その中の多くは、わたしの立っているそばの木の所に通じる道にたどり着こうとして、押し進んでいた。そして、その人たちは進んで来ると、木に通じている道を歩き始めた。そこで、暗黒の霧が起こった。まことに、非常に深い暗黒の霧であったため、道を歩き始めていた人々は道を見失い、迷って姿が見えなくなってしまった。



「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月、ラッセル・M・ネルソン、大管長
兄弟の皆さん,わたしたちはもっと良いことを行い,もっと良い人になる必要があります。なぜなら,わたしたちは戦いのさなかにいるからです。罪との戦いは現実のものです。主への証を崩壊させて主の業を妨げようと,敵対する者はその力を何倍にも増しています。また,その手先に強力な武器を与え,わたしたちが主の喜びと愛を受けるのを阻止しようとしています。ユダ1:17-212ニーファイ2:25, 2728:20参照。1ニーファイ8:10-12,21-2311:21-2212:17教義と聖約10:22モーセ5:13も参照)

悔い改めは,敵のわなによって不幸に陥らないための秘訣です。永遠の進歩において,この時点では,主はわたしたちに完全をお求めになりません。そうではなく,いっそう清くなるように求めておられます。日々の悔い改めは清さへの道であり,清さは力をもたらします。個人の清さは,わたしたちを神の御手に使われる強力な道具に変えてくれます。悔い改め,すなわち清さが,イスラエルの集合に貢献する力を授けてくれるのです。