1ニーファイ8:10-12、21-23
そして、一本の木が見えたが、その実は人を幸せにする好ましいものであった。 そこで、行ってその木の実を食べると、それは、今までに味わったどんな実よりもずっと甘いことが分かった。またその木の実は白く、今までに見たどんな白いものにも勝って白かった。 そしてその木の実を食べると、わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。それでわたしは、家族にも食べてほしいと思い始めた。その実が、ほかのどんな実よりも好ましいことが分かったからである。… わたしは群れ集まる無数の人々を見たが、その中の多くは、わたしの立っているそばの木の所に通じる道にたどり着こうとして、押し進んでいた。そして、その人たちは進んで来ると、木に通じている道を歩き始めた。そこで、暗黒の霧が起こった。まことに、非常に深い暗黒の霧であったため、道を歩き始めていた人々は道を見失い、迷って姿が見えなくなってしまった。
「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月、ラッセル・M・ネルソン、大管長
兄弟の皆さん,わたしたちはもっと良いことを行い,もっと良い人になる必要があります。なぜなら,わたしたちは戦いのさなかにいるからです。罪との戦いは現実のものです。主への証を崩壊させて主の業を妨げようと,敵対する者はその力を何倍にも増しています。また,その手先に強力な武器を与え,わたしたちが主の喜びと愛を受けるのを阻止しようとしています。(ユダ1:17-21;2ニーファイ2:25, 27;28:20参照。1ニーファイ8:10-12,21-23;11:21-22;12:17;教義と聖約10:22;モーセ5:13も参照)
悔い改めは,敵のわなによって不幸に陥らないための秘訣です。永遠の進歩において,この時点では,主はわたしたちに完全をお求めになりません。そうではなく,いっそう清くなるように求めておられます。日々の悔い改めは清さへの道であり,清さは力をもたらします。個人の清さは,わたしたちを神の御手に使われる強力な道具に変えてくれます。悔い改め,すなわち清さが,イスラエルの集合に貢献する力を授けてくれるのです。
