「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -276ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ17:7-10
さて、わたしニーファイが、バウンティフルの地で何日も日を過ごしたところで、主の声が聞こえて、わたしに、「立って山へ行きなさい」と言われた。そこでわたしは、立って山へ行き、主に叫び求めた。 そこで主は、わたしに言われた。「わたしがこれから示す方法に従って、一隻の船を造りなさい。この大海を越えて、わたしがあなたの民を連れて行けるようにするためである。」 それでわたしは、「主よ、お示しくださった方法に従って船を造るための道具を造るには、どこへ行ってあらがねを見つけたらよろしいでしょうか」と言った。 そこで主は、その道具を造れるように、あらがねの見つかる場所をわたしに教えてくださった。


「自立」(英文)1991年10月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会
リーハイとその家族は,8年間も荒野をさまよった後,果実と野みつが豊かなバウンテフルと名づけられた土地にやって来ました。海に着くと,自分たちを生かし守ってくださった主に感謝を捧げました。バウンテフルに着いてから多くの日を経た後,主はニーファイに「立って山へ行きなさい」と仰せになりました。(1ニーファイ17:7)

ニーファイは主のみ言葉に従い,山に登って祈りました。すると主はニーファイにこう命じられました。「わたしがこれから示す方法に従って、一隻の船を造りなさい。この大海を越えて、わたしがあなたの民を連れて行けるようにするためである。」(1ニーファイ17:8) そこでニーファイは主にこのように尋ねました。「主よ、お示しくださった方法に従って船を造るための道具を造るには、どこへ行ってあらがねを見つけたらよろしいでしょうか」(1ニーファイ17:9)

主はあらがねのある場所を教えてはくださいましたが,あとはニーファイが自分でしなければなりませんでした。ニーファイ第一書第17章11節と16節にはこうあります。「そこでわたしニーファイは、火を吹くためのふいごを獣の皮で作った。そして火を吹くためのふいごを作ってから、二個の石を打ち合わせ……岩石から溶かし出したあらがねで道具を造った。」これは聖典の中でも大変興味深い話です。というのは主は助けを与えられますが,その後は傍らで,天父の子供たちが自分の力を発揮できるようにされるだけだということを述べているからです。ニーファイがあらがねのある場所を尋ねるのではなく,道具を与えてくださるように主にお願いしていたらどうなっていただろうか,と私はときどき考えます。主はおそらくニーファイの願いを聞かれなかっただろうと思います。ニーファイが道具を作れることをご存じだったからです。主は私たちが自分でできることを代わってなさることは,めったにありません。

主は私たちに助けが本当に必要なときに,特に主のみ業を熱心に行ないみこころに従うときに,必ず助けてくださいます。しかし主が助けてくださるのは進んでみずから行なおうとする人だけです。主はその子供たちに,できる限り自立するように望んでおられるのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ16:29
また、それらの指針の上には新しい言葉が記されていて、それは読みやすく、主の道についてわたしたちに理解を与えてくれるものであった。そしてその言葉は、わたしたちが寄せる信仰と熱意に応じて、時々書き替えられた。このようにして、主は小さな手段によって大いなることを成し遂げられることが分かるのである。


「イエス・キリストは親の強さです」2023年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
親として皆さんが持てるもう一つの強みは,日々,継続的に影響をもたらす機会です。仲間や教師,メディアのインフルエンサーが来ては去って行く一方で,皆さんは,子供の人生に最も絶え間なく,安定した影響を及ぼすことができます。

皆さんの努力は,子供たちが世にあって耳にする大声に比べれば,か弱く思われるかもしれませんし,あまり功を奏していないように感じることもあるでしょう。しかし,「主は小さな手段によって大いなることを成し遂げられること」を心に留めてください。1ニーファイ16:29アルマ37:6-7も参照)1回の家庭の夕べ,1回の福音に関する会話,あるいは1回の模範で,子供の人生が瞬時に変わることはないかもしれませんが,1滴の雨粒で,植物がたちまち成長するわけではないのと同じです。しかし,小さな簡単なことを,来る日も来る日も一貫して行うことが,ふいに起こる洪水よりもはるかに豊かに子供たちを養うのです。(「家庭での学びには簡単で小さな,一貫した努力が必要『救い主の方法で教える』31参照。)

それが主の方法です。主は,雷のような声ではなく,静かな細い声で,皆さんおよび皆さんの子供に語りかけられます。ヒラマン5:30参照)主はナアマンを「何か大きなこと」によってではなく,身を洗うという簡単な行いの繰り返しによって癒されました。列王下5:9-14参照)イスラエルの子らは荒れ野にあってウズラのごちそうを楽しみましたが,彼らを生き長らえさせたのは,日ごとの食物—マナというささやかでシンプルな奇跡でした。出エジプト16章参照)

兄弟姉妹の皆さん,日ごとの食物を整え,提供するうえで最善の場は家庭です。信仰と証は,普通で自然な方法で,一口ごとに,小さなちょっとした瞬間に,また日常生活の絶え間ない流れの中で,最もよく育まれるのです。(「生涯にわたって神の聖約の道を歩めるよう子供たちを備える」)

あらゆる瞬間が,教える機会です。あらゆる言葉や行いが,選択の指針となり得るのです。(「家庭での学びは計画することもできるが,自然にできる場合もある『救い主の方法で教える』31;1ペテロ3:15参照)

努力の効果をすぐには目にできないかもしれませんが,諦めないでください。「すべてのことは時節にかなって起こる」と,主は言われました。「それゆえ,善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。」教義と聖約64:32-33神の貴い子供たちが,自分の真の姿を学び,イエス・キリストとその福音,また主の教会に対する信仰を築くのを助けること以上に,大いなる業があるでしょうか。イエス・キリストは,皆さんのたゆまぬ努力を祝福し,大いなるものとしてくださいます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ16:23
さて、わたしニーファイは木で一つの弓を作り、まっすぐな枝で一本の矢を作った。それでわたしは、弓と矢、石投げと石で身を固め、「食糧を得るのにどこへ行ったらよいですか」と父に尋ねた。



「多くの祝福を得る」2019年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
ただし,最終的に木の本来の能力を最大限に引き出すには,火に酸素を供給し続けなければなりません。ホームズ夫妻の例に見られるように,キリストを信じる信仰の炎を絶やさないようにするには,継続的な行いが求められます。ささやかな行いが,聖約の道を歩む能力を高め,神がお与えになる最も偉大な賜物をもたらします。ただし,わたしたちが歩みを続けない限り酸素は巡りません。食料をどこで探すべきかという啓示を受ける前に弓矢を作らなければならないときがありますし,1ニーファイ16:23参照)船の造り方に関する啓示を受ける前に,道具を作らなければならないときもあります。1ニーファイ17:9参照)尽きることのないびんの油とかめの小麦粉をいただくためには,主の預言者の指示の下,残りわずかな油と小麦粉で小さなパンを焼かなければならないこともあるでしょう。列王上17:10–16参照)また,「安らかにしていて,〔神〕が神であることを知り」,主の時への信頼が必要なときもあります。教義と聖約101:16

神から何らかの祝福を頂くとき,皆さんはその祝福の授受をつかさどる永遠の律法の要件を満たしたと結論付けることができます。教義と聖約130:20-21参照)しかし,「定められた不変」の律法には,時間の制約がないことを心に留めてください。つまり,祝福は神の時にかなってもたらされるのです。古代の預言者でさえ天の家を探し求めてヘブル11:16参照)「信仰をいだいて死〔に,〕まだ約束のものは受けていなかったが,はるかにそれを望み見て喜び」ました。ヘブル11:13たとえ望んでいる祝福を「まだ」神から受けていなかったとしても,取り乱したり,ほかに何をしなければならないのかと考えたりする必要はないのです。代わりに,ジョセフ・スミスの勧告に耳を傾けてください。「力のかぎりすべてのことを喜んで行おう。そして……その後,……このうえない確信をもって待ち受けて,……神の腕が現されるのを見ることができるように。」教義と聖約123:17神の子供たちの中で最も雄々しい者にさえ,一部の祝福は,後に取っておかれることがあります。(ジェフリー・R・ホランド「すでに現れた祝福の大祭司」『リアホナ』2000年1月号)

 

 

 

Niphi with Liahona by Jorge Cocco Santangelo