「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -275ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ1:12

まことに、世代が移るにつれて、彼らの中に流血があり、大きな刑罰が下る。だから息子たちよ、覚えておいてほしい。まことに、わたしの言葉に聞き従ってほしい。

 

 

「覚えておきなさい。滅びてはならない」2007年4月、マーリン・K・ジェンセン、七十人定員会

「覚える」という言葉が聖典の中でどのように使われているかよく注意して見ると,神が意図しておられる方法で覚えることは,救いに必要な福音の基本原則であることが分かります。なぜなら,覚えるよう促す預言者の勧告はたいてい,耳を傾ける,見る,行う,従う,悔い改める,といった行動を求めるからです。2ニーファイ1:12 モーサヤ6:3ヒラマン5:14 参照)神が望まれる方法で「覚える」ならば,人生の戦いのために防備を固めるだけにすぎない人間の性癖を克服して,実際に戦いに参加するようになります。誘惑を退け,罪を避けるためにできる限りのことをするのです。

 

ベニヤミン王は,覚えておくことに熱心であるよう自分の民に勧告しました。

 

「最後に言うが,あなたがたが罪を犯すもとになることをすべて告げることはできない。その方法や手段はいろいろあって,数え上げられないほど多いからである。

 

しかし,これだけは言える。もし自分自身や自分の思い,言葉,行いに注意を払わず,神の戒めを守らず,主の来臨について聞いた事柄を生涯の最後まで信じ続けないならば,あなたがたは滅びるに違いない。おお,人々よ,覚えておきなさい。滅びてはならない。」モーサヤ4:29-30

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ1:7

したがって、この地は主が連れて来られる者のために聖別されている。もしこの人々が主から与えられた戒めに従って主に仕えるならば、ここは彼らにとって自由の地となり、彼らは決して囚われの身に陥ることがないであろう。もし囚われの身に陥るならば、それは罪悪のためである。罪悪がはびこるとき、地は罪悪を犯す人々のためにのろわれるが、義人のためにはとこしえに祝福されるからである。

 

 

「縛っている鎖をふり切る」(英文)1986年10月、マービン・J・アシュトン、十二使徒定員会

この言葉は今日でも当てはまります。悪癖の鎖を感じたことのない人はいるでしょうか。悪癖は進歩を妨げ,自分が何者であるかを忘れさせ,自尊心を傷つけることもあり,家族を危機にさらすこともあり,さらには同胞や神に仕える能力さえも妨げてしまうことがあります。

 

中には,「自分はこのような人間で,変わることはできない。悪癖の鎖を振り捨てることはできない」と言う人がいます。リーハイは,この鎖が人の動きや成長,幸福を束縛するものであることを知っていました。そこで,その鎖を振り切るよう息子たちに警告したのです。鎖は人を混乱させ,神のみたまに従いにくくさせます。リーハイはまた,新しい土地が「かれらにとって自由の国となり,従ってここに住む者は決して自由を奪われることがないであろう。もしも自由を奪われるならば,それはかれらの罪悪による」(2二一ファイ1:7 )と息子たちに言いました。リーハイはその言葉を「もしも自由を奪われるとしたら,不義な生活の鎖のために自由を奪われるのである」と言い換えることができたはずです。「悪癖の鎖はそれが大きくなって振り切ることができなくなって初めて感じるものである」とサミュエル・ジョンソンは言っています。

 

先程お話しした女性は,自分を変えようと決意したために,悪癖の鎖を断ち切ることができました。ラモーナイ王の配下にあったレーマン人たちは,アンモンから教えを受け,殺人,怠惰,憎悪という悪の鎖を断ち切ることができました。正義を行なうという決意があったために,二一ファイの民以上に勇敢な者になることができたのです。

 

正しく生きることはよろいであり,胸当てであり,悪からの守り,力,喜びであり,キリストと同じ生涯をたどることです。そうです。正しい生活をすることは鎖を断ち切ることなのです。

 

今日, 多くの人が悪癖の鎖で足かせをはめられています。また,過ちや無関心からくる劣等感にさいなまれている人がいます。私たちは,良い方に自分を変えようとする気持ちがないために鎖につながれたままでいるのです。二一ファイの時代と同じように,今日においても神が「目を覚ませ」「聞け」「もはや時を延ばすな」「我を信ぜよ」「戻れ」「まっすぐな道を求めよ」と言っておられるのも当然のことです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ17:45
あなたがたは罪悪を行うのは早いけれども、主なるあなたがたの神を思い起こすのは遅い。あなたがたは一人の天使に会い、その天使はあなたがたに語りかけました。まことに、あなたがたはその声を時々聞いています。天使は静かな細い声で語りかけましたが、あなたがたは心が鈍っていたので、その言葉を感じることができませんでした。それで天使は雷のような声であなたがたに語りかけ、その声は、まるで引き裂くほどに大地を揺り動かしました。


「人生にとって霊的に重要な記憶」2020年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
ラッセル・M・ネルソン大管長は最近,このように述べました。「次の重要な質問を深くまた頻繁に考えてください。あなたは主の声をどのように聞くことができますか?また,より鮮明で頻繁に主の声を聞くために行動してください。」(ラッセル・M・ネルソン「主の声をどのように聞くことができますか?」特別な招き大管長は今朝,その招きを繰り返しました。

わたしたちは,祈りや家庭,聖文,賛美歌の中で,また,ふさわしい状態で聖餐を受けるときや自分の信仰を宣言するとき,周りの人に仕えるとき,信者の仲間とともに神殿に参入するときに主の声を聞きます。人生にとって霊的に重要な瞬間は,よく祈りながら総大会の話を聞くとき,また,戒めをよりよく守るときに訪れます。そして子供の皆さん,このような経験は皆さんのためのものでもあります。イエスが「子供たちを……教え導き,……子供たちは大いなる驚くべきことを……語った」ことを思い出してください。3ニーファイ26:14主は言われました。

「〔この知識〕は,わたしの御霊によってあなたがたに与えられている……。わたしの力によらなければ,あなたがたは〔これ〕を得ることはできない。

そのために,あなたがたは,わたしの声を聞いたこと,そしてわたしの言葉を知っていることを証できるのである。」教義と聖約18:35-36 霊的な知識には必ず感情が伴います;1ニーファイ17:45

救い主の比類のない贖いの祝福のおかげで,わたしたちは「主の声を聞く」ことができるのです。

人生にとって重要な瞬間が訪れる時期を自分で選ぶことはできませんが,それに備えることについてヘンリー・B・アイリング管長は次のように助言しています。「今晩と明日の晩,皆さんは祈り,深く考えながら,次の質問を自分に問いかけるかもしれません。『神はわたし個人に向けてメッセージを送られただろうか。自分自身や〔家族〕の生活に神の御手を見ただろうか。』」(ヘンリー・B・アイリング「記憶にとどめ,覚えておきなさい」2007年10月)信仰,従順,謙遜,誠意によって天の窓は開かれます。2ニーファイ31:13モロナイ10:4参照)