2ニーファイ1:7 縛っている鎖をふり切る | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ1:7

したがって、この地は主が連れて来られる者のために聖別されている。もしこの人々が主から与えられた戒めに従って主に仕えるならば、ここは彼らにとって自由の地となり、彼らは決して囚われの身に陥ることがないであろう。もし囚われの身に陥るならば、それは罪悪のためである。罪悪がはびこるとき、地は罪悪を犯す人々のためにのろわれるが、義人のためにはとこしえに祝福されるからである。

 

 

「縛っている鎖をふり切る」(英文)1986年10月、マービン・J・アシュトン、十二使徒定員会

この言葉は今日でも当てはまります。悪癖の鎖を感じたことのない人はいるでしょうか。悪癖は進歩を妨げ,自分が何者であるかを忘れさせ,自尊心を傷つけることもあり,家族を危機にさらすこともあり,さらには同胞や神に仕える能力さえも妨げてしまうことがあります。

 

中には,「自分はこのような人間で,変わることはできない。悪癖の鎖を振り捨てることはできない」と言う人がいます。リーハイは,この鎖が人の動きや成長,幸福を束縛するものであることを知っていました。そこで,その鎖を振り切るよう息子たちに警告したのです。鎖は人を混乱させ,神のみたまに従いにくくさせます。リーハイはまた,新しい土地が「かれらにとって自由の国となり,従ってここに住む者は決して自由を奪われることがないであろう。もしも自由を奪われるならば,それはかれらの罪悪による」(2二一ファイ1:7 )と息子たちに言いました。リーハイはその言葉を「もしも自由を奪われるとしたら,不義な生活の鎖のために自由を奪われるのである」と言い換えることができたはずです。「悪癖の鎖はそれが大きくなって振り切ることができなくなって初めて感じるものである」とサミュエル・ジョンソンは言っています。

 

先程お話しした女性は,自分を変えようと決意したために,悪癖の鎖を断ち切ることができました。ラモーナイ王の配下にあったレーマン人たちは,アンモンから教えを受け,殺人,怠惰,憎悪という悪の鎖を断ち切ることができました。正義を行なうという決意があったために,二一ファイの民以上に勇敢な者になることができたのです。

 

正しく生きることはよろいであり,胸当てであり,悪からの守り,力,喜びであり,キリストと同じ生涯をたどることです。そうです。正しい生活をすることは鎖を断ち切ることなのです。

 

今日, 多くの人が悪癖の鎖で足かせをはめられています。また,過ちや無関心からくる劣等感にさいなまれている人がいます。私たちは,良い方に自分を変えようとする気持ちがないために鎖につながれたままでいるのです。二一ファイの時代と同じように,今日においても神が「目を覚ませ」「聞け」「もはや時を延ばすな」「我を信ぜよ」「戻れ」「まっすぐな道を求めよ」と言っておられるのも当然のことです。