1ニーファイ16:23
さて、わたしニーファイは木で一つの弓を作り、まっすぐな枝で一本の矢を作った。それでわたしは、弓と矢、石投げと石で身を固め、「食糧を得るのにどこへ行ったらよいですか」と父に尋ねた。
「多くの祝福を得る」2019年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
ただし,最終的に木の本来の能力を最大限に引き出すには,火に酸素を供給し続けなければなりません。ホームズ夫妻の例に見られるように,キリストを信じる信仰の炎を絶やさないようにするには,継続的な行いが求められます。ささやかな行いが,聖約の道を歩む能力を高め,神がお与えになる最も偉大な賜物をもたらします。ただし,わたしたちが歩みを続けない限り酸素は巡りません。食料をどこで探すべきかという啓示を受ける前に弓矢を作らなければならないときがありますし,(1ニーファイ16:23参照)船の造り方に関する啓示を受ける前に,道具を作らなければならないときもあります。(1ニーファイ17:9参照)尽きることのないびんの油とかめの小麦粉をいただくためには,主の預言者の指示の下,残りわずかな油と小麦粉で小さなパンを焼かなければならないこともあるでしょう。(列王上17:10–16参照)また,「安らかにしていて,〔神〕が神であることを知り」,主の時への信頼が必要なときもあります。(教義と聖約101:16)
神から何らかの祝福を頂くとき,皆さんはその祝福の授受をつかさどる永遠の律法の要件を満たしたと結論付けることができます。(教義と聖約130:20-21参照)しかし,「定められた不変」の律法には,時間の制約がないことを心に留めてください。つまり,祝福は神の時にかなってもたらされるのです。古代の預言者でさえ天の家を探し求めて(ヘブル11:16参照)「信仰をいだいて死〔に,〕まだ約束のものは受けていなかったが,はるかにそれを望み見て喜び」ました。(ヘブル11:13)たとえ望んでいる祝福を「まだ」神から受けていなかったとしても,取り乱したり,ほかに何をしなければならないのかと考えたりする必要はないのです。代わりに,ジョセフ・スミスの勧告に耳を傾けてください。「力のかぎりすべてのことを喜んで行おう。そして……その後,……このうえない確信をもって待ち受けて,……神の腕が現されるのを見ることができるように。」(教義と聖約123:17)神の子供たちの中で最も雄々しい者にさえ,一部の祝福は,後に取っておかれることがあります。(ジェフリー・R・ホランド「すでに現れた祝福の大祭司」『リアホナ』2000年1月号)
Niphi with Liahona by Jorge Cocco Santangelo