「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -254ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ31:19

さて、わたしの愛する同胞よ、わたしは尋ねたい。あなたがたがこの細くて狭い道に入ったならば、それですべて終わりであろうか。見よ、わたしはそうではないと言う。もしキリストを信じる確固とした信仰をもってキリストの言葉に従い、人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼らなかったならば、あなたがたは、ここまで進んで来ることさえできなかったからである。

 

 

「イエス・キリストは宝です」2023年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

救い主降誕のおよそ5世紀前に,モルモン書の預言者ヤコブは,「的のかなたに目を向け」ると,近くにあるものを当たり前だと思ったり過小評価したりすると指摘しています。ヤコブは,主が来られるときに,エルサレムの民は主が約束されたメシヤだと認識できないことを予見しました。ヤコブはこう預言しています。「彼らは分かりやすい言葉を侮り,……自分たちの理解できないものを求めた。それゆえ,彼らは的のかなたに目を向けたために盲目となり,盲目のために堕落しなければならなかった。」モルモン書ヤコブ4:14言い換えれば,つまずいたのです。

 

ヤコブの預言は正確でした。イエスがこの世での務めを果たされる間,多くの人は「的のかなたに目を向け」,主を見誤っていました。世の救い主だと見ようとしなかったのです。天の御父の計画を成就する主の役割を理解せずに主を非難して十字架につけ,救いをもたらす別の人を待ち望みました。

 

エルサレムの民のように,またカーターやカーナーヴォン伯爵のように,わたしたちも「的のかなたに目を向ける」傾向があります。わたしたちはこの傾向から離れ,自分の生活の中でイエス・キリストを見失わないように,そして主が授けてくださる多くの祝福を認識できるようにしなければなりません。わたしたちには主が必要です。わたしたちは,「人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼」2ニーファイ31:19るように勧告されています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ31:17

したがって、わたしがあなたがたの主であり贖い主である御方の行われることを先見して、これまで語ってきたことを、あなたがたも行いなさい。これらのことがわたしに示されたのは、あなたがたが入らなければならない門を知ることができるようにするためである。あなたがたが入らなければならない門とは、悔い改めと、水によるバプテスマである。そうすれば、火と聖霊によって罪の赦しが与えられる。

 

 

「いつも主の御霊を受けられるように」(英文)2006年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「もしも罪の赦しと聖霊を受けることを考えずに,人にバプテスマを施すのであれば,砂の袋にバプテスマを施した方がよいでしょう。水によるバプテスマは,バプテスマの半分にすぎません。残りの半分,すなわち聖霊のバプテスマがなければ,何の役にも立たないのです。」(History of the Church,第5巻,499)わたしたちは罪の赦しのために水に沈めるバプテスマを受けました。同様に主の御霊によるバプテスマも受けて,御霊の中に沈められなければならず,「そうすれば,火と聖霊によって罪の赦しが与えられる」のです2ニーファイ31:17

 

聖霊について経験を得るにつれて,わたしたちは御霊の影響力を常に同じ強さで感じるものではないことを知ります。深く心に残る霊的で強い印象は,頻繁にはもたらされません。忠実で従順であるように努めているときでさえも,生活の中で御霊による導きや確信,平安を容易に認識できないときがあります。実際,モルモン書には,忠実なレーマン人が「火と聖霊によるバプテスマを受けた。しかし,彼らはそれを知らなかった」と述べられています3ニーファイ9:20

 

聖霊の影響力は,聖文では「静かな細い声」列王上19:123ニーファイ11:3も参照)や「まったく優しい……声」ヒラマン5:30と表現されています。このように,主の御霊はたいてい静かな,繊細な,かすかな方法でわたしたちに語られます。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ31:16

さて、わたしの愛する同胞よ、このことから、人は生ける神の御子の模範に倣って、最後まで堪え忍ばなければ救われないことが分かる。

 

 

「あなたの足の道に気をつけよ」2014年10月、トーマス・S・モンソン大管長

わたしたちには指針となる神と御子の御言葉があり,聖文で読むことができます。神の預言者の勧告と教えがあります。とりわけ重要なのは,従うべき完全な模範が与えられているということです。主であり救い主であるイエス・キリストの模範です。わたしたちはこの模範に従うよう教えられてきました。救い主自ら,こう言っておられます。「わたしに従ってきなさい。」ルカ18:22「わたし​が​する​の​を​見た​その​行い​を,あなたがた​も​しなさい。」3ニーファイ27:21イエスは「あなたがた​は​​どの​よう​な​人物​で​ある​べき​か」と問いかけ,御自分でそれに答えておられます。「まことに,あなたがた​に​言う。​わたし​の​よう​で​なければ​ならない。」3ニーファイ27:27そして,「主は道を示し,……導かれました。」(エライザ・R・スノー「高きに満ちたる」『賛美歌』112番参照)

 

イエスを模範として仰ぎ,その歩みに倣うならば,天の御父のみもとに無事帰り,永遠に神とともに住むことができるのです。預言者ニーファイはこう言っています。「人​は​生ける​神​の​御子​の​​模範​に​倣って,最後​まで​​堪え忍ばなければ​救われない​。」2ニーファイ31:16