さて、わたしの愛する同胞よ、わたしは尋ねたい。あなたがたがこの細くて狭い道に入ったならば、それですべて終わりであろうか。見よ、わたしはそうではないと言う。もしキリストを信じる確固とした信仰をもってキリストの言葉に従い、人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼らなかったならば、あなたがたは、ここまで進んで来ることさえできなかったからである。
「イエス・キリストは宝です」2023年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
救い主降誕のおよそ5世紀前に,モルモン書の預言者ヤコブは,「的のかなたに目を向け」ると,近くにあるものを当たり前だと思ったり過小評価したりすると指摘しています。ヤコブは,主が来られるときに,エルサレムの民は主が約束されたメシヤだと認識できないことを予見しました。ヤコブはこう預言しています。「彼らは分かりやすい言葉を侮り,……自分たちの理解できないものを求めた。それゆえ,彼らは的のかなたに目を向けたために盲目となり,盲目のために堕落しなければならなかった。」(モルモン書ヤコブ4:14)言い換えれば,つまずいたのです。
ヤコブの預言は正確でした。イエスがこの世での務めを果たされる間,多くの人は「的のかなたに目を向け」,主を見誤っていました。世の救い主だと見ようとしなかったのです。天の御父の計画を成就する主の役割を理解せずに主を非難して十字架につけ,救いをもたらす別の人を待ち望みました。
エルサレムの民のように,またカーターやカーナーヴォン伯爵のように,わたしたちも「的のかなたに目を向ける」傾向があります。わたしたちはこの傾向から離れ,自分の生活の中でイエス・キリストを見失わないように,そして主が授けてくださる多くの祝福を認識できるようにしなければなりません。わたしたちには主が必要です。わたしたちは,「人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼」(2ニーファイ31:19)るように勧告されています。
