したがって、わたしがあなたがたの主であり贖い主である御方の行われることを先見して、これまで語ってきたことを、あなたがたも行いなさい。これらのことがわたしに示されたのは、あなたがたが入らなければならない門を知ることができるようにするためである。あなたがたが入らなければならない門とは、悔い改めと、水によるバプテスマである。そうすれば、火と聖霊によって罪の赦しが与えられる。
「いつも主の御霊を受けられるように」(英文)2006年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「もしも罪の赦しと聖霊を受けることを考えずに,人にバプテスマを施すのであれば,砂の袋にバプテスマを施した方がよいでしょう。水によるバプテスマは,バプテスマの半分にすぎません。残りの半分,すなわち聖霊のバプテスマがなければ,何の役にも立たないのです。」(History of the Church,第5巻,499)わたしたちは罪の赦しのために水に沈めるバプテスマを受けました。同様に主の御霊によるバプテスマも受けて,御霊の中に沈められなければならず,「そうすれば,火と聖霊によって罪の赦しが与えられる」のです(2ニーファイ31:17)。
聖霊について経験を得るにつれて,わたしたちは御霊の影響力を常に同じ強さで感じるものではないことを知ります。深く心に残る霊的で強い印象は,頻繁にはもたらされません。忠実で従順であるように努めているときでさえも,生活の中で御霊による導きや確信,平安を容易に認識できないときがあります。実際,モルモン書には,忠実なレーマン人が「火と聖霊によるバプテスマを受けた。しかし,彼らはそれを知らなかった」と述べられています(3ニーファイ9:20)。
聖霊の影響力は,聖文では「静かな細い声」(列王上19:12。3ニーファイ11:3も参照)や「まったく優しい……声」(ヒラマン5:30)と表現されています。このように,主の御霊はたいてい静かな,繊細な,かすかな方法でわたしたちに語られます。
