「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -249ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヤコブ2:18-19

しかし、富を求める前に神の王国を求めなさい。

キリストに望みを抱いてから富を求めるならば、富は得られるであろう。しかし、富を求める目的は、裸でいる者に着せ、飢えている者に食物を与え、束縛されている者を自由にし、病人や苦しんでいる者を救うなど、善を行うことである。

 

 

「生めよ,増えよ,地を従わせよ」2015年4月、ジョセフ・W・シターティ、七十人

父なる神が神の形にかたどって人を造るよう独り子に命じたとき,御父は子供たちを祝福して言われました。「生めよ,増えよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また……地に動くすべての生き物を治めよ。」モーセ2:28モーセ2:26-27創世1:26-28も参照)わたしたちの現世の旅は,神からこの命令と祝福を受けて始まったのです。愛にあふれる御父は,わたしたちに,生み,増え,治めよという命令と祝福をお授けになりました。それは,わたしたちが成長して御自分のようになれるようにするためでした。

 

……

 

地を従わせ,全ての生き物を治めるということは,これらを管理し,神の御心モルモン書ヤコブ2:18-19参照)を成し遂げ,神の子供たちの目的に添わせるということです。従わせることには,自分の肉体を制御する力を身につけることも含まれます。1コリント6:19-20ガラテヤ5:16-251テサロニケ4:3-72テモテ2:22参照)それらの無力な犠牲になることや,それらを神の御心に反する方法で用いることは含まれません。モルモン書ヤコブ2:12-16,20-21参照)

 

地にあるものを従わせる力を伸ばすためには,まず謙遜になって自分の人間的な弱さを認め,キリストとその贖いを通して力が得られることを認めなければなりません。なぜなら,「キリストは〔こう〕言われた」からです。「あなたがたはわたしを信じるならば,わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう〔。〕」モロナイ7:33この力は主の戒めに従って行動するときに与えられます。御霊の賜物を求め,才能を伸ばすことによって,わたしたちはこの力を伸ばすことができます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヤコブ2:2-3

「さて、わたしの愛する同胞よ、わたしヤコブは、まじめに自分の務めを尊んで大いなるものとするという責任を神から受けており、また、わたしの衣からあなたがたの罪を取り除きたいので、今日こうして神殿に来て、あなたがたに神の御言葉を告げる。

 あなたがたも知っているように、わたしは召された職務にこれまで努め励んできた。しかし今日のわたしは、あなたがたの幸いを願う気持ちと心配がこれまでよりも大きいので、心が沈んでいる。

 

 

「今日」2022年10月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

愛する兄弟姉妹,モルモン書では,勧告や約束,教えに注意を向けさせるために,「今日」ヤコブ2:2-3モーサヤ2:14,305:7アルマ7:15という言葉が繰り返し用いられます。ベニヤミン王は最後の説教の中で,民を次のように諭しました。「今日わたしが語る言葉を聞〔きなさい〕……耳を開いて聞き,胸を開いて理解し,また心を開いて,神の奥義があなたがたの心に明らかにされるようにしなさい。」モーサヤ2:9総大会はこれに似た場です。わたしたちは「今日」語られる勧告を聞き,主と主の福音に「いつでも誠実」アルマ53:20であれるよう,この場に来ました。わたしが「今日」強く感じているのは,ジョセフ・スミスが「この世で最も正確な書物」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』(2007),64、「分かりやすくて貴い」1ニーファイ13:40参照))と呼んだモルモン書に対する決意を新たにすることの重要性です。

 

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヤコブ1:7

それゆえ、わたしたちは、民が神の安息に入るようにするために、民の中で熱心に働いて、キリストのもとに来て神の慈しみにあずかるように彼らに説き勧めた。もし民がそうしなければ、かつてイスラエルの子らが荒れ野にいた試練の日々に神の怒りを引き起こしたときのように、神が激しい怒りを示して、わたしたちの民も安息に入ってはならないと誓いをされる恐れがあったからである。

 

 

「先祖の信仰」(英文)1996年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

主が私たちを力づけてくださるので、「私たちはすでに多くのことを堪え忍んできており、またすべてのことを堪え忍べるようにと望んでいる」信仰箇条1:13のです。また救い主は私たちに「善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして、小さなことから大いなることが生じるのである」教義と聖約64:33と励ましてくださっています。王国にあって、どのような召しを受けていても、その務めを忠実に果たせますように。「小さなこと」によく注意を払いましょう。それが大きな差を生じるのです。戒めを忠実に守りましょう。戒めを守るという神聖な聖約を私たちは交わしているからです。これまでの受け継ぎと現在の成長が如実に語っているように、私たちは確かに「大いなる業の基を据えつつあ」ります。

 

能力の限りを尽くして主の御業に献身しようではありませんか。この偉大な大義にあって、忠実に働くことによって先祖の信仰をたたえ、敬うことができますように。預言者に従うことができますように、そうすることによって「キリストのもとに来て神の慈しみにあずかる」ヤコブ1:7ことができますように、へりくだってイエス・キリストの御名によりお祈りいたします。アーメン。