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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世3:16

つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。

 

「神の娘」(英文)1991年10月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長会

さて、創世記にある「アダムはイヴを治めるであろう」という聖句に注意を向けてください(創世3:16参照)。あなたはなぜそうなのかと尋ねられましたが、私には分かりません。何世紀にもわたって、この聖句は女性を虐待し、卑しめる口実として、男性によって悪用されてきたことは、残念ながら認めざるを得ません。しかし、そうすることによって彼らは自分たちの品位を落とし、ご自分の息子と同じように娘も愛しておられる天の御父の怒りを招いてきたと、私は確信しています。

 

デビッド・O・マッケイ大管長が、創世記に記されたその言葉について話された折、私も同席していました。大管長は、怒りに満ちたまなざしで専制君主的な夫たちについて語られ、彼らが主の法廷に立つとき、その横暴な振る舞いは大きなとがめを受けるであろうと言われました。そして、福音の精神の真髄によれば、家庭は正義によってのみ治められなければならないと指摘されました。

 

この言葉を私は次のように解釈します。すなわち、夫には妻を扶養し、守り、力づける責任があるということです。さげすみ、虐待し、恐怖心を与える、すなわち不正をもって治める男性は、息子娘の永遠の父である正義の神の叱責を受けると、私は信じています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世3:16-19

つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。

更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

 

「神は涙をことごとくぬぐい取ってくださる」2016年10月、エバン・ A・シュムツ、七十人

天の御父の計画の一環として,御父は現世での経験に悲しみも織り込まれることを許されました。創世3:16-19参照)苦痛を伴う試練は,一見不公平に降りかかるように見えますが,程度の差こそあれ,だれもが確かに苦しみと悩みを経験します。聖霊の導きにより,わたしたちがその理由をさらに深く理解できるように祈ります。

 

キリストを信じる信仰のレンズを通して人生の困難な経験を見るときに,試練には神が定められた目的があることを理解できます。忠実な人には,ペテロの一見矛盾する勧告に含まれる真理を経験することができるのです。ペテロはこのように書いています。「万一義のために苦しむようなことがあっても,あなたがたはさいわいである。」 1ペテロ3:14「心を注いで理解しようと〔する〕」モーサヤ12:27ときに,試練をよく堪え忍ぶ能力とともに,試練から学び,それにより精錬される能力が増します。そのような理解は,「なぜ善良な人に悪いことが起こるのか」という不変の疑問への答えを与えてくれます。

 

今日話を聴いているすべての人も何らかの寂しさや落胆,苦悩,痛み,悲しみを知っていることでしょう。 信仰という目エテル12:19と永遠の真理に対する理解がなければ,現世で経験する苦難や苦痛が原因で,天の御父の偉大な計画は確かに永遠の幸福の計画であると知ることから得られる永遠の喜びがぼやけたり,薄れたりしてしまうことがあります。完全な喜びを受ける道はほかにはありません。3 ニーファイ28:10参照。 2 ニーファイ31:19-21も参照)

 

神は,ほかの方法では得られない祝福と知識を手にするために,各自の苦難に信仰をもって応じるよう招いておられます。わたしたちはあらゆる状態,あらゆる状況の中で戒めを守るよう教えられています。「艱難の中で忠実な者の受ける報いは,天の王国においてもっと大きい」からです。教義と聖約58:2聖文にはこのようにあります。「あなたは悲しければ、心が喜びに満ちるように,主なるあなたの神に呼び求めて嘆願しなさい。」教義と聖約136:29

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約59:9

また、あなたは、世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために、わたしの聖日に祈りの家に行って、聖式をささげなければならない。

 

「礼拝」2025年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

最も一般的かつ重要な礼拝の形の一つは、奉献された場所に集まって献身的な行いを示すことです。主はこのように語っておられます。「また、あなたは、世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために、わたしの聖日に祈りの家に行って、聖式をささげなければならない。」教義と聖約59:9もちろんこれこそが、礼拝堂を建てる主要な動機です。しかし、必要に応じて、ある程度の神聖さを確保できるのであれば、奉献されていない場所を利用することもできます。

 

最も重要なのは、主の日に集ったわたしたちが何を行うかです。もちろん、わたしたちは持てるものの中でできる限りきちんとした装いをします。華美に装うのではなく、神への敬意と敬虔さを表すような慎み深い装いをするのです。服装と同様に、わたしたちは敬虔さと敬意をもって行動します。わたしたちはともに祈ることによって礼拝します。また賛美歌を歌う(ただ耳を傾けるのではなく、実際に賛美歌を歌う)ことによって礼拝します。そして教え合い、学び合うことによって礼拝します。イエスはこのように告げられました。「この主の日に、あなたはいと高き方にあなたの供え物〔神と同胞のためにささげる時間や才能、財産の意教義と聖約59:12、注釈①)〕と聖式をささげ、また兄弟たちと主の前にあなたの罪を告白しなければならないことを覚えておきなさい。」教義と聖約59:12わたしたちが集まるのは、例えば音楽バンドなどを楽しんだり、楽しませたりするためではなく、主を覚え、主の福音について「さらに完全に教えられる」ためです。教義と聖約88:78参照)

 

前回の総大会で、パトリック・キアロン長老は次のことを思い起こさせてくれました。「安息日に集う目的は、聖餐会に出席するという動作ではなく、礼拝することです。ここには大きな違いがあります。出席するとは、その場にいることです。しかし、礼拝するとは、自分に変化が及ぶよう意識的に神をたたえ、崇拝することです。」(パトリック・キアロン「喜びの教会へようこそ」2024年10月)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)