「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -23ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王下17:6

ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。

 

「エレミヤの哀歌―束縛に注意する」2013年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

十部族を含むユダヤ人の捕囚とイスラエルの部族の散乱は,福音の回復において考慮すべき非常に重要な教義的要素です。イスラエルの失われた十部族は,イスラエルの北の王国の一部を形成し,紀元前721年に 囚われの身となってアッスリヤに連れ去られました。彼らは北の国々に行ったのです。 (列王紀下17:6 ; 教義と聖約110:11参照)信仰箇条の第10条にはこのように書かれています。「わたしたちは,イスラエルの文字どおりの集合と十部族の回復とを信じる。」(信仰箇条1:10;2ニーファイ10:22も参照)わたしたちはさらに,主がアブラハムと交わされた聖約の一部として,アブラハムの血統を受け継ぐ者だけが祝福されるのではなく,地上のすべての民が祝福されることを信じています。ラッセル・M・ネルソン長老が話したように,集合は「物理的な場所の問題ではありません。個人の献身の問題なのです。人々は郷里を離れることなく『神を知るようになります』(3ニーファイ20:13)。」(ラッセル・M・ネルソン”The Book of Mormon and the Gathering of Israel”)

 

わたしたちの教義は以下のとおりはっきりとしています。「主はイスラエルの十二部族を,その不義と背反のゆえに散らし,苦しめられた。しかし,主は選ばれた民をこのように国々の中に散乱させ,それによってその国々に祝福をもたらす機会とされた。」(『聖句ガイド』「イスラエル」の項。)

 

この悲劇的な時代から価値ある教訓を学ぶことができます。束縛につながる罪や反抗心を避けるために,自分の能力の範囲でできる限りのことを行うべきです。(教義と聖約84:49‐50)わたしたちは,義にかなった生活をすることが,主の選民を呼び集め,文字どおりイスラエルの集合のために主とともに働く前提条件であることも理解しています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下5:1-17

 

「柔和で心のへりくだった者」2018年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

現代社会では,柔和というキリストのような特質はしばしば誤解されています。柔和とは弱さではなく強さであり,受け身ではなく能動的で,臆病ではなく勇気があり,行き過ぎることなく節度があり,自らについて誇張せずに慎み深く,無作法でなく礼儀正しいことです。柔和な人は容易に怒らず,うぬぼれず,尊大にならず,他人が成し遂げた事柄を快く称えます。

 

謙遜さは一般に神を頼りとし,神の導きと支えを絶えず必要とすることを意味します。それに対して,柔和さの際立った特徴は,聖霊から学ぶことに対して,そして能力や経験や教育において劣っているように思える人や重要な役職にない人,そのほかあまり貢献するものがないように思える人から学ぶことに対して特に優れた霊的な受容性を備えていることです。スリヤ王の軍勢の長ナアマンがその高慢さを克服し,柔和になって僕たちの助言を受け入れ,預言者エリシャに従ってヨルダン川で7度身を洗ったときのことを思い出してください。(列王下5:1-17参照)柔和であることは,名声,地位,権力,富,称賛によってしばしば生じる高慢な盲目の状態からの主要な守りなのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下4:8

ある日エリシャはシュネムへ行ったが、そこにひとりの裕福な婦人がいて、しきりに彼に食事をすすめたので、彼はそこを通るごとに、そこに寄って食事をした。

 

「神の預言者」2025年10月、アンドレア・ムニョス・スパナウス、中央若い女性会長会

ある日、預言者エリシャがシュネムを通っていると、「ひとりの裕福な婦人がいて、……彼に食事を〔すすめた〕(この語句のスペイン語訳には、「強く招いた」という意味が込められています。)ので、彼はそこを通る度に、そこに寄って食事をし〔まし〕た。」(列王下4:8)預言者エリシャは彼女の家でともに食事をするよう招かれて、うれしかったことでしょう!エリシャが何度か通っていると、ある日その女性は夫にこう言いました。「あの人は確かに神の聖なる人です。」〔訳注:原文を直訳すると「今、あの人が神の聖なる人であると悟りました」の意。〕

 

女性は、「今、悟った」と述べています。女性は、預言者だとは知らずにエリシャを家に招き入れ、エリシャの言葉と教えに注意深く耳を傾けることにより、聖霊を通して証を得たようです。(この時代に写真はなかったことを思い出してください。ですから、顔だけで預言者を見分けることは難しかったのです。)

 

しかし、話はこれで終わりません。ある日、女性は夫に言いました。「わたしたちは……一つの小さいへやを造り、そこに寝台と机といすと燭台とを彼のために備えましょう。そうすれば彼がわたしたちの所に来るとき、そこに、はいることができます。」(列王下4:10)

 

この忠実な女性は、町を通る預言者が滞在できる場所があるように、自宅に部屋を作ろうとしたのです。

 

今日のわたしたちはこの経験から、力強い教訓を学ぶことができます。

 

主はシュネムの女性に、エリシャが神の預言者だと証され、女性は家を開放してエリシャを受け入れるという行動を取りました。

 

わたしたちも、今日の神の預言者についての個人的な証を受け、天の御父がこの末日にわたしたちのために語られるメッセージに対して、心と思いと家の扉を開くことができます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)